目が覚めると、まだ部屋の中は薄暗くて。
隣で眠る日向を起こさないように、俺は素っ裸のまま静かにベッドから抜け出した。
鞄から携帯を探し出して、もう一度温かいベッドの中に潜り込む。
時刻は午前5時過ぎ。
色々な意味で、正直すげー嫌なんだけど、だからって連絡しない訳にもいかず…
連絡先の中から三杉の番号を探し、通話ボタンを押す。
思っていたよりもすぐに、そして寝起きとは思えないハッキリとした口調で三杉は電話に出た。
「もしもし三杉?松山だけど… 朝早くにゴメン。起きてたか?」
『起きてたよ。』
「…今、日向んちにいる。」
『日向の家?トリノの?』
「うん。そう。 悪いんだけど… 俺、みんなと同じ飛行機乗らない から。荷物はフロントに預けてある。」
『電車だよね?一人でよく行けたね。危険はなかった?』
「うん。平気。ごめんな、心配かけて。」
『松山』
「これからも、いっぱい心配かけると思うけど… でも俺、決めたんだ。
これが正しいのか間違ってるのかなんて俺にはわかんないけど。
…でも、決めたから。」
『…… そう。 まあ、話はまた、ゆっくり聞くとするよ。ただ、』
突然、それまで優しかった三杉の口調が変わった。
『今から一時間以内にホテルに戻りたまえ。それとこれとは話は別だ。』
ブツンッ
「あ」
俺の返事を待たずに、電話は切れてしまった。
「どうした?」
逞しい腕が伸びて、日向が俺の体を抱き寄せる。
右手に携帯を持ったまま、俺も日向の背中に腕を回した。
「三杉に電話した。」
「…おう」
「みんなと同じ飛行機には乗らないって言ったんだけど、すぐに戻れって…」
「チッ… 相変わらず頭の固ぇヤローだな。」
日向は文句を言いながらもすぐにベッドから降り、服を着始めた。
俺も慌てて服を着る。
「一時間以内に戻れって。間に合う?」
「まあ、ギリギリだな。車をまわしてくる。すぐに出れるか?」
「うん。悪いな。」
日向はジャケットを羽織ると、テーブルの上に置いてあった車のキーを掴んで、家の鍵を俺に投げてよこす。
「…別に、三杉のためじゃねえぞ。お前のためだからな。」
「…分かってる。さんきゅ。」
小さく笑って、日向は先に玄関を出て行った。
「はあ… 怒られるんだろうなあ…」
思わずため息をついちまった。
ミラノへ向かう高速道路。
まだ朝早いせいか、渋滞はしていない。
この調子ならギリギリ間に合うと、さっき日向が言っていた。
「俺は納得がいかないんだが」
運転しながら、日向がぼそっと言う。
「何が?」
「俺とお前が付き合うことを、なんで三杉に許可を得なくちゃならないんだ。」
「…ああ」
「数年前ならまだしも、もう大人なんだから、ほっとけって話だろ。」
確かに、日向の言う事は正しいと思う。
でも…
「でも、俺は、三杉に認めてもらいたいと思う。やっぱり。」
「…何で」
「うーん… うまく言えないけど…
多分、三杉は三杉で、俺達の事をすっごく考えてくれてるんだと思うんだ。
だからこそ、反対して、心配して、叱ってくれたりもする。
そういう仲間を無視して、前に進みたくないって思うから。」
そう言って日向の顔を覗きこむと、やっぱり納得いかないという表情で、チっと舌打ちをした。
「まあ… 俺個人としては、三杉なんぞ、どーーーーーだっていいんだがな。」
「…」
「お前がそーしてーんなら、俺もそれに付き合うまでだ。」
「…うん。ありがとう。」
ちょうど6時頃、ホテルに到着することが出来た。
静まり返ったロビーで、ソファに深く座り新聞を読む三杉の姿を見つけ駆け寄る。
「三杉」
「……やあ。ちゃんと一時間以内に帰ってきたね。」
三杉は新聞を畳むと立ち上がり、片隅にあるラックに新聞を戻しに行く。
「ごめんな。朝早くから…」
「日向に送ってもらったのかい?」
「うん」
三杉の目線は俺を通り過ぎ、少し離れた場所に立っている日向を見た。
そしてもう一度、俺の方に視線が戻ったと思った瞬間
バチンっ
「?!!」
いきなり三杉の平手打ちが飛んできて、頬にビリっと痛みが走る。
それは大した威力ではなかったが、あまりにも突然だったのと、まさか三杉が…という驚きで、
一瞬全身が硬直したかのように動けなくなっちまった。
「いい加減にしたまえ。」
三杉の怒った顔と、慌てて駆け寄って来る日向の姿が同時に目に入る。
「君は今、日本代表選手の一人としてここに来ているんだろう?
夜に勝手に抜け出したり、みんなと同じ飛行機には乗らないと言ってみたり、
何もなかったから良かったものの、我が儘にも程がある。
同じ事を別の選手がやったとしたら君は許せるのかい?許せないだろ?
代表選手としての自覚を持て、みんなに迷惑をかけるなと怒るだろ?」
「……ごめん」
本当に、その通りだった。
怒られて当然の事を、俺はしてしまった。
「っ… 松山を呼び出したのは俺だ。」
「そう。でも判断して行動したのは松山だよ。」
助け船を出してくれた日向もそれ以上何も言えず… 押し黙るしかなく。
しばらくの沈黙の後、三杉がちいさくため息をついて… それからゆっくりと話し始めた。
「僕は、君たちが付き合う事が正しいか間違ってるかなんて一生分からないし分かりたくもない。
その事に関してはもう口出しするつもりはないから勝手にやってくれたらいい。」
「っ… みすぎ」
「でも、今回の松山の行動については間違っているとハッキリ言える。
そして、僕はそれを正さなければならないと思った。だからここにいる。」
「…うん。勝手なことして、本当に悪かった。反省する。」
三杉は俺の顔をじっとみて、ふう、と小さく息をついた。
「朝食は7時から2階のレストラン。8時半にロビーに集合で空港に向かうからね。遅れないように。」
「はいっ」
思わずいい返事をすると、三杉に呆れ顔をされてしまった。
それから、今度は日向の方に向き直る。
「君も本当に、大概にしてくれたまえよ。
せっかく心臓が良くなったというのに、今度は胃がやられそうだ。」
「そいつは難儀だな。」
「……… まあ、トリノから車を飛ばして松山を送ってきてくれたんだから、
一応反省してくれている、ということにしておくよ。日向。
またこちらに来ることがあったら、今度は観光案内も頼むよ。」
じゃあね、と言って、三杉はさっさとエレベーターの方へと行ってしまった。
「…これは、認めてくれたってことかな」
「認めたというか、諦められたんじゃねえか?」
確かに;;
日向は「俺の勝ちだな」とか言って笑う。
そんなこと言って、聞こえたらまた三杉に殴られそうだと思ってエレベーターの方を見たが、
すでに三杉は乗り込んだ後で、そこには誰もいなかった。
「じゃあな松山。気を付けて帰れよ。」
「うん。お前も。元気でな。」
日向は周りを見渡して人がいないのを確認してから、軽くキスをしてくれる。
「浮気すんなよ。」
「そっちこそ。」
次、会えるのはいつだろう…?
手を振りながら去って行く日向の背中を見つめる。
ずっと、足りないと思っていたものが、ようやく戻ってきて、
隙間を埋めるどころか溢れてしまうほどに… 俺の心は、満たされたのだった。
翌年の2月14日。
親善試合で帰国していた日向が、試合の後、俺の住むマンションに寄ってくれた。
本当はすぐにイタリアに戻らないといけなかったけど、無理矢理調整してくれたらしい。
それでも、明日の昼には空の上だ。
「くそう… あともう1日くらいどーにかならねえかな。」
風呂上がりの日向が髪をがしがしタオルで拭きながら、スマホでスケジュールをチェックする。
「そっちはまだリーグ戦真っ只中なんだから、仕方ないだろ。」
「ダメだ。これ以上はどー考えても無理だ…」
はあ…と、ため息をついて、日向はスマホをテーブルに置くとソファにどかっと腰を下ろす。
日向とは上手くいってたけど、トレーニングキャンプ中や試合で会っても二人の時間を過ごす事はなかった。
そうする事でケジメをつけるのはもちろん、三杉に本当の意味で認めてもらいたかったから。
…まあ、日向にはぶーぶー文句言われたけど。
「日向、これ食う?」
「お。マーブルチョコ。」
「岬にもらった。バレンタインデーだって。」
日向の隣に座り、はい、とカラフルな細い筒を日向に渡すと微妙な顔をされた。
「…なんで岬が」
「CMやってるからだろ。」
「………ああ」
エセ爽やかヤローめ…とか言いながら、日向はマーブルチョコのビニール包装を破く。
それからしばらく筒をじーーーーっと見つめて言った。
「な。松山」
「ん?」
「お前が言った色を一発で出したら、俺の言うこときいてくれるか?」
「ゆ、ゆーことって…」
「そりゃ、お前…」
にやーーーっといやらしい笑みを浮かべて、顔を近づけてくる。
「今日はバレンタインだから…」
「…さっきチョコあげただろ。」
「それはそれ。」
もったいないから、しばらく飾ってから食べる、とか気持ち悪ぃこと言いやがるし。
「なっ 何をさせる気だっ」
「そーだなー。●●●●●とか●●とか、あと●●●縛って後ろに●●●を入れ」
「だーーーーっっ///それ以上言うんじゃねえ!!このド変態!!!」
思わず殴りかかったが、すれすれで避けられちまった。
日向って、思ってたよりイヤラシイ///
「マーブルチョコは7色だそーだ。7分の1の確率だな。松山、何色がいい?」
「…え… じゃ、じゃあ… 赤」
「おし。ぜってーーー赤出すっっ!!」
どんだけ気合入れてんだ。
ポンっ という筒の蓋を開ける小気味よい音が部屋に響いた。
日向の手の平に最初に出てきたのは…
「…水色 だな。」
「くっそ!!」
もう、日向があんまり気合入ってるもんだから一発で出るような気がして、正直結構覚悟してたってのに。
「お。松山、残念そうだな。」
「?!!///バカか!ほっとしてんだろーがっっ」
ちょっとだけ心の内を読まれたような気がして恥ずかしい///
照れ隠しにマーブルチョコを奪い取って、ひとつ手の上に出した。
「あ。赤。」
「何?!!」
「はは。やりぃ〜w」
別に当たりってわけじゃねーけど何か嬉しくて、俺は赤色のマーブルチョコを口に放り込む。
「仕方ない。俺がお前の言う事を聞いてやろう。」
なぜか日向が、やたら偉そうに言った。
だから、別に当たりじゃねえっての。
でも、まあ、そう言うなら…
「じゃあ…」
「?!」
俺はごろんと横になると、日向の腿に頭を乗っけた。
「膝枕でお願いしまーす。」
「……なんだ。つまんねえな。」
「いいだろ。たまには甘えさせろよ。」
「変な奴…」
初めての日向の膝枕はびっくりするくらい固くて寝心地が悪いったらない。
ふと見上げれば、一粒じゃ食ってる気がしねえなとか言いながら、
5粒くらい一気にマーブルチョコを口に放り込む奴の顔が見えた。
(完)
|