それは合宿3日目の夜。
ふいに気配に気づくと、誰か俺のベッドのすぐ横に立っていた。
一瞬、この世のものではない何かかと思うくらいに静かに。
気配を消すように。
だがそれは、そんな不確かなものじゃなくて。
『誰か』でも『何か』でもなくて。
やがてそいつは反対側のベッドに戻って行った。
そう。
何のことはない。
そいつは…
今日も朝から天気が良くて、
松山が勢いよくカーテンを開けた窓から降り注ぐ太陽の光で俺は目を覚ました。
「…まつ やま」
「ん?」
「……」
「おす。日向。」
いつもと変わりない様子の松山は、笑顔で俺に挨拶をしてくる。
昨夜のあれは、一体何だったのだろう??
俺は身体を起こし、大きな欠伸をひとつした。
「おす。日向。」
「ん。おお。おす。」
「どした?眠れなかった?」
「…いんや。」
そらこっちの台詞だ。
夜中にいきなり突っ立って人のこと見下ろしてやがって。
「お前」
「うん?」
「…いや、何でもねえ。」
なぜだか聞くのをためらって、俺は何事もなかったようにベッドを下りた。
その日の奴は、いつも通りで。
朝飯の時も、練習の時も、休憩中も、いつもと同じ松山だった。
ふと、夢だったのかと思う。
そうでなきゃ、松山ではない、何か、か???
いやいやいやいや。
俺、霊感とか一切ねえし。
だが
その日の夜も、また次の日の夜も、
『松山だと思われるそいつ』は真夜中になると俺のすぐ横に立って、
そしてじっと、俺を見下ろしているのだった。
そんなことが続いて合宿最後の夜。
俺は意を決して声をかけることにした。
ちなみに、俺は別に起きたくて起きているわけじゃない。
横に立たれると、なんとなく気配を感じて起きてしまうのだ。
って、俺そんなに繊細な神経の持ち主だった覚えはないんだけどな…
そして今日も気配を感じて目を覚ますと、そいつが立っていた。
いつもと同じ場所に、いつもと同じように。
これまで声をかけてこなかったのは、何か、声をかけたらいけないような気がしていたから。
もし松山じゃなかったら…という恐怖感も多少あったことは認めるが、それ以上に
本人が知られたくないと思っているような…そんな気がしたからだった。
「…おい」
「っ…」
小さな声で呼びかけると、そいつはびくん、と身体を震わせた。
「どうした?」
「いや、ごめん。便所…」
暗闇で顔はほとんど見えないが、それは明らかに聞き慣れた松山の声で…
俺は心のどこかでほっとした。
松山は向きを変えて、自分が言った通りに便所に向かおうとする。
「待て」
俺は松山の手首を掴んだ。
「ここんとこ、毎日こうしていただろ?」
「……」
「何のつもりだ?」
「…ごめん。」
別に、怒っているわけじゃねえのに… 松山は小さな声でぼそりと謝ってきた。
掴んだ手首を伝って、ぎゅっと拳を握りしめたのがわかる。
「何が、ごめんなんだ?」
「…わかんない。」
「明り、つけていいか?」
「つけなくていい。」
あまりに即答だったので、俺は一瞬戸惑った。
何でだ?顔を見られたくないのか??
「松山?」
「…俺」
「……うん?」
「一緒に、寝て、いい?」
「………」
昼間の思考回路だったら「気味の悪ぃこと言ってんじゃねえ!」
と怒鳴り散らしたことだろう。
だが今はもう夜中。
時計は見えないが、明け方も近い時刻かもしれない。
まるで小さな子供のようなことを言う松山が、可哀そうで可愛くて。
掛け布団をめくって招き入れると、猫のように身体をすべりこませてきた。
どれくらいそうしていたのかは分からないが、
それなりに冷えた身体が逆に心地よくさえ感じた。
「…ホームシックか?」
「ちげーよ…」
胸のあたりに顔をうずめ、松山は静かな呼吸を繰り返す。
少しばかり湿った息が、Tシャツ越しに肌に感じた。
そういや、よく弟をこうして寝かしつけてたな…
母ちゃんが仕事で帰らない時、その不安からか一人じゃなかなか寝付けなくて。
その時弟にそうしてやったように松山の背中をとんとん、と軽く叩いてやった。
何故だか急に、それ以上理由を追求するのも馬鹿馬鹿しいような気がして、
俺は黙って目を閉じた。
「夢を、見る」
「…え?」
松山が、小声でぽつりと言った。
「毎晩、同じ、夢…。お前が、すげー 遠くにいっちまう、夢…」
「…なんだそりゃ…」
「手が届かなくて、不安で、恐くて… だから、目が覚める度、お前の顔を見に…」
暗くて、全然見えないけどな…と、小さく笑いながら松山は言った。
夢?って。なんだそりゃ…
俺が、どこへ行くってんだ。
「海外移籍でもすんのかな。俺。」
だったら嬉しい予知夢だな、と冗談めいて言うと、松山は「そういうんじゃねえよ。」と笑った。
「じゃあ、どういうんだよ?」
「だから、そーゆー、現実的なことと違くて」
「?」
「…… いいんだ。俺が、こうして掴んでいれば… きっと」
Tシャツの胸のあたりをぎゅっと掴まれた。
「松山?」
「俺が、どんな人間でも、お前、俺から離れたりしないか?」
「…?しねえよ。」
「そっか。良かった。」
「しねえけどよ… どんな人間でもって、どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。」
…こいつがとんでもない大悪党だとか、そうはとても思えないが。
松山の言いたいことがよくわからないまま、俺も、松山も、
吸い込まれるように眠りに落ちていった。
その夜、俺も夢を見た。
松山の夢が伝染ったんだろうか?
夢の中で俺と松山はなぜか恋人同士で、友達や家族が、俺たちを引き裂こうとしていた。
男同士で恋愛に走るなんてどうかしている、と、誰かが叫んでいる。
俺は、その言葉にひどく憤った。
そうして、夢の中で叫んだ。
『松山が男だって、大悪党だって、関係ない。
こいつがどんな人間であっても、俺はこいつを愛してるんだ!』
目が覚めた瞬間、夢と現実が混じり合って、わけもわからず松山のことを抱きしめた。
しばらくして、ああ、今のは夢だったのかと理解して、夢で良かったと思う。
「……」
くそ。お前のせいで、妙な夢見ちまったじゃねえかよ…
まさか、真夜中に俺に変な呪いか魔法でもかけてたんじゃねえだろうな。
悪党でなくて、魔術師かなんかか???
どんな人間でもって、そういう意味だったのか???
(…まさか。)
あどけない寝顔に、思わず頬が緩む。
やっぱり、ただのホームシックだったんじゃねえの??お前。
(…夢で… 良かった…?)
何が?
松山と恋人同士だったことが?
それとも
…引き裂かれてしまったことが???
『いいんだ。俺が、こうして掴んでいれば…』
松山の、さっきの言葉が頭を過る。
Tシャツを掴んだその手に自分の手を重ねると、
やがてまた夜の闇が、ゆるゆると眠りへ誘っていった。
(完)
秋の夜長に送る変な短編でした。
特に意味もなく…
「冬隣」は晩秋の意味です。お洒落ですね…vvv