「…… 」
「?何 ?」
松山の、両方の瞼が、ゆっくりと閉じていく。
これは 現実 なのか ?
目の端に金色の花火が幾重にも開いては下に垂れていくのが見えて、
ああ、そろそろラストだなあ… とか考えて。
松山は 何を しているんだ ?
俺の左の手首を掴んだままの、松山の右手が、小さく震えている。
それから、伏せられた睫毛も。
俺 は
「……」
松山の目が、開いた。
俺の顔を見て、黙ったまま俯いて。
「… ごめ」
ほとんど聞こえないような小さな声でそう言って、俺から一歩遠ざかる。
花火が終わって、しん、と静まったベランダに、薄暗闇が戻ってくる。
しばらくの間、沈黙が続いた。
「たっだいま〜vvvあれ?誰もいないよ〜健ちゃん。」
部屋の中から反町の声が聞こえた。
「っ こ、ここだ反町!花火見てたんだっ」
慌てて松山が部屋に戻って行く。
「………」
心臓が、止まったかと思った…。
俺は大きく深呼吸をする。
まさか。
そんなわけ、ない。
あるはずがない。
パチン、と両頬を叩いて、俺も部屋の中へ戻った。
その日は結局、朝まで宴会が続いて。
俺はいつの間にか眠っていて、朝目覚めた時には若島津も反町も帰った後だった。
「おす。」
笑顔でそう言ったのはいつもの松山で。
ジャージに着替え終わって、もうこれからすぐにでも出かける感じだった。
「…すまん。お前の寝床、奪ってたんだな。」
「いや。俺もお前のベッドで寝たから。」
「…おう、そうか。」
身体を起こし、そのままソファに座る。
あれだけ食い散らかしてあったテーブルの上は綺麗に片付いて、一体いつの間に…と思う。
「それにだいたい、このソファだって別に俺んのじゃねえし。」
「…まあ。それは、そーなんだが。」
「じゃあ、俺もう学校行くな。」
「…おん」
「あー… 今まで、悪かったな。長いこと世話んなっちまって。」
ボリボリと頭を掻きながら、突然松山が言った。
「お前、今日仕事だろ?」
「え?」
「さっき、里中さんって人から電話があって、11時に迎えに来るからって。」
携帯を指さしながら、あんまり何度もかかってくるから出た、と言う。
「俺、今日学校午前中で終わるから。そしたら引っ越し…っつか…
荷物ちょっとしかねーけど… その、出てくから さ。
今日から、あっちのアパートに住む。」
「………そうか」
「…じゃ、な。」
「……」
「あー… バイト先、たまには飲みに来いよな。」
「……ん」
振り返らず部屋を後にする、松山の後ろ姿。
やがて玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
あれから一度だけ奴のバイト先の居酒屋に顔を出したが、その時は松山は休みの日だった。
何度かチームメイトから行ってきたという話を聞いたりしたが、それ以後は何となく足が向かず…
10月半ば、U−22日本代表候補トレーニングキャンプが行われる。
が…
「おい!何で俺の名前がねえんだ!!!!」
はーーーーーーっ と長いため息が電話の向こう側から聞こえた。
相手は三杉。
今回の合宿では選手兼アシスタントコーチになっている。
「だからね。僕が選んだわけじゃないから。」
「そんなことはどーでもいい。何で俺が入ってないのか聞いてる。」
「ま、大事な時期だしね。君のところはJ1優勝もかかってるわけだし。
それに今回は、A代表で召集されてない選手を中心に召集したみたいだから。
そういうこと。もういいかな。今忙しいんだ。じゃあまた次の機会に。」
「おっ ちょっ 三杉!!」
ツーツーツー
…切りやがったな一方的に…
チっと舌打ちをして、俺は携帯を切った。
「三杉さん、ですか?」
運転する里中さんが言った。
今日は夜から始まるスポンサー主催のレセプションパーティーに出席するため、
里中さんの運転で会場に向かっている。
「ええ。」
「私も何度かご一緒させて頂いたことがあります。大変素晴らしい方でした。」
「……里中さんがそんなこと言うとは珍しい。」
「そうですか?」
ここ数カ月、かなりの時間を共に過ごしている…というか、管理されているというか…
そんな彼女だが、未だによくわからん部分がほとんどだったりする。
…っつか、三杉が素晴らしいだと??
物好きだなこの人も…
「三杉さんとは長いお付き合いですか?」
「まあ。小学生の頃からなんで。」
「そうですか。」
「…三杉に興味あるんだ?」
「……… いえ別に。」
って、わかりやすいな里中さん!!
俺は心が優しいから、三杉に婚約者がいることは黙っておいてあげよう。
…ま、この人ならそのくらいの情報は知ってるかもしらんが。
「松山さんは」
「え?!!」
里中さんのことを考えてあげていたというのに、突然松山の名前が出たのでビックリした。
…というか、むしろ自分の過剰な反応にビックリした…。
「松山さんは、U−22に選出されましたね。」
「…あ、ああ。… なんで」
「先ほどの三杉さんとの会話、今度のトレーニングキャンプの話だったのでは?」
「そう、だが。なんで松山?」
「いつでしたか、電話でお話したので。日向さんと仲がいいのかと思ってましたが」
違いました?と聞かれる。
仲がいい…というのだろうか… よくわからん。
何となくどう答えていいのかわからず、俺は「ぼちぼち」と答えると、
本当に珍しく、里中さんの少しだけ笑った顔がバックミラーに映っていた。
…何が面白かったんだろう…??
レセプションパーティーはそれはもう息苦しい意外の言葉はなかった…
主催者側が用意した着慣れないスーツに身を包んで、
里中さんがガン見(監視とも言う。)している中、言われた通り笑顔を絶やさず、
お偉いさんらしきオッサン達と握手をして話をして写真を撮られて。
「ぐわーーーーっっ」
車に乗り込んでネクタイを緩めた途端、思わず叫んじまった…
「お疲れさまでした。」
俺の温度とは真逆の、大変クールな感じで里中さんが言った。
この人、全然労わる気ねえな…
「…疲れた。」
「はい、お疲れ様です。」
「つーかーれーまーしーたぁぁぁぁ」
「ええ。大変でした。」
「……」
はあ…と思わずため息をついて、俺は窓の方に凭れかかった。
「里中さん、どっか飯でも食いに行きませんか?」
疲れていたせいか思いつくまま口にしてみたら
「私はまだ仕事が残っていますので」
はい。あっさりフラれました…。
いや、まあ、あなたと二人きりで食事するなんてありえないと思っていたけどね。
「どこか、お送りしますか?」
「…どこかって、どこへ?」
「行きつけのお店でも、どなたかのお宅でも」
「…?どなたかってーのは、何???」
「お疲れのようですから、例えば、お付き合いされてる方のところでも送りますよ、という意味です。」
「………」
なんだろう… この人、小泉さんに何か吹き込まれでもしたんだろうか?
こんなおかしな気の使い方をされたのは初めてだ。
「…いませんけど」
「…………… それは、失礼しました。」
って、すげー間だったな!!!
里中さんの微妙な反応に首を傾げる。
お付き合いされてる方…
確かに。里中さんの言う通りなのかもしれない。
こんな風に疲れた日は、心も体も、誰かに癒してもらうのがいい…
松 山 …
「っ…」
頭に浮かんだのは、松山の顔。
その笑顔に、その言葉に… その 存在自体に…
俺は…
「日向さん?着きましたよ?」
「…ああ。」
俺は、知らず知らずのうちに、あいつに…???
随分長い間、松山に会っていない。
未だに部屋のドアを開けると、あいつの「おかえり」という声が聞こえてきそうな気がする。
休みの日は飯を二人分作りそうになる。
…バカみてーだ…
松山のいないこの部屋が、こんなにも広く感じるだなんて…
何も変わらないと… そう思っていたのに。
「……」
部屋の電気も点けずに、いつも松山が寝ていたソファに座る。
傍に置いてあった大きな2つのバッグは今はもうない。
…ここに、お前が、いた…
「… まつ やま…」
もっと早く、気付くべきだった。
いや、認めるべき、だった。
今ここに、お前の身体があるなら、きっと…
「くそっ…」
だが、もう松山はここにはいない。
ゆっくりと身体を横たえる。
横向きに見える、ベランダに続く大きなガラス戸。
あの日、肩を並べて花火を見たあの時… あいつは、一歩前に踏み出した。
…だが俺は、何も出来なかった…
あれは、そういうこと…だったのか?
確信もなければ、自信も持てない。
今更戻ってきてほしい、また一緒に住みたいだなんて
「…言えるわけねえだろ…」
思わず言った独り言が、薄暗闇に吸い込まれていく。
目に映るのは色のない、白黒の景色のように思えて…
あの楽園は、もう、ない。
(続く。)
センチメンタルな日向さんです。
だいぶ終わりが近づいてきたような… こないような…