「なんだと思う?」
大地を駅に送り届け夕食を済ませた後、片山は自室のベッドに寝転び、
部屋の机で再度日向の書いたノートに丁寧に目を通す三杉の背中に声をかける。
「松山のことかい?」
回転椅子をキイ、と軋ませて三杉は片山を見た。
「ああ。」
ノートを閉じ、三杉はみんなから「似合いすぎ」と言われる縁なしの眼鏡をはずした。
「ショックだったんじゃない?」
「何が?」
「君が男と付き合っている事が。」
「・・・」
片山はしばらく考える。まあ、確かにそれはそうかもしれない。
身近な人間に同性愛者がいたら(別に自分は同性愛者ではないけど)とりあえずショックは受けるだろう。
軽蔑とかではなく、単純にその事実に対して。
(でも、何て言うか、松山は・・・)
「彼は相当純情らしいよ。」
「え?」
「二年以上も付き合っている彼女とキスもしたことないんだってさ。」
三杉はなんだかそんな純情少年松山をいとおしいというような表情で言った。
「だから余計だったんじゃない?」
「・・・って、何で三杉そんなことまで知ってんの?」
「松山が僕にそんな話すると思えない?」
片山は苦笑いしながら、だってそうだろ?と返した。
「弥生だよ。」
「弥生って、サッカー部のマネージャーだった子?三杉の彼女?」
「そ。全国大会で何度か顔合わすうちにマネージャー同士も仲良くなったみたいでね。
そんな会話をしたらしい。」
「・・・お前の彼女おしゃべりだな。」
三杉は、ははは、と乾いた笑いを返す。
だからあんまりマネージャーに向いてないのかも、などと冗談を言う。
「ところで、三杉先生を喜ばせるくらいの出来事が、二人のお出かけ中に起こったわけ?」
「人聞きの悪い事を言うね、片山。まるで僕が何か仕組んだみたいじゃない。」
くすくすと含み笑いを漏らす三杉。
・・・仕組んだんだろが、暇つぶしに、と心の中で片山は呟く。
「予想外に平和に真面目にサッカー観戦してきたみたいで。
長時間二人でいただろうに、生傷一つ作らずに帰ってくるなんてねえ。彼らも少しは大人になったのかな。」
三杉先生曰く、サッカーか喧嘩以外しないと思っていたが、案外普通だった、と日向が言っていたそうな。
しかし何故か少々残念そうに言う三杉・・・。
(・・・お前、生傷つくってくること期待してたんだろ。そして雷落っことしたかったんだろ。)
どこまでが本気で、どこからが冗談なのかわからない。
さすがの片山もこいつだけは敵に回すまいと思う。
(それにしても・・・)
「僕はそろそろ風呂に行ってくるよ。今が一番すいてる時間だからね。」
「行ってらっしゃい。」
「片山は?」
「ああ、俺はいいや。温泉つかったし。」
「ホテルでシャワーも浴びたし?」
くすくすと笑いながら三杉が言った。
こんな冗談は片山相手だからこそである。
片山はにやにやしながら「正解。」と答える。
そして風呂の支度をする三杉を横目に、ベッドの脇に置いた雑誌を手に取った。
(松山のあの表情は、ショックじゃなくて明らかになんか怒ってるみたかったぞ。)
嵐が巻き起こりませんように・・・、と、なんとなーく祈る片山だった。
嵐こそ巻き起こらなかったが、静かな波風は立ち始めていた。
(・・・絶対避けられてる・・・)
「・・・」
片山はむすっとした顔でシュート練習を眺めていた。
「片山、今度の練習試合なんだけどさ、」
「・・・」
「片山?」
「え?ああ、うん。」
隣にいた三杉が片山の顔を覗き込んだ。
「どうかしたのかい?」
「いや。ごめん。」
「?」
片山が避けられている、と感じている相手は他でもない、松山である。
(やーっぱ、あの日からだよな・・・)
「・・・で、これでいこうと思うんだけど。」
「了解。・・・・三杉、」
「うん?」
「あのさ、松山と仲いいのって誰?」
「え?」
三杉が怪訝な顔をする。
「あ、いや、友達の女の子がさ、松山のファンで色々聞いてくれって頼まれたんだけど。
あいつそういうの嫌いそうじゃん?だから。」
とっさに適当な事を言ったが、三杉はそれは正解だね、と割とあっさり納得した。
「彼は誰とも仲いいけど、まあ、一番仲良しは岬君だろうね。」
「あ、やっぱり?」
「そんなことより。片山去年の練習試合のビデオ、ちゃんと見ておくようにね。」
「わかってるよ。」
「集合―!」
三杉は立ち上がると笛を吹いた。
片山は岬に松山が自分を避ける事情について探りをいれてみようと思っていたのだが、
その前に別ルートで知ることになった。
片山が浴場から自室に帰ろうと歩いていると、
ロビーのソファに座ってテレビを見て大笑いしている反町と松山が目に入った。
「よう。何見てんの?」
片山はわざと松山の横に座った。
「っ・・・」
瞬間、松山の身体に緊張が走り固まるのが伝わってくる。
(・・・何なんだよ・・・。ったく。)
「なんか特番でやってるお笑い。」
反町が答える。
「ふうん。松山も好きなんだ?こーゆーの。」
「え?ああ、まあ。割と。」
片山はわざと松山の顔を覗き込んで聞いた。
先ほどの大爆笑はどこへやら、松山は目を合わせず、小さい声で答えた。
「片山もう風呂入ったの?」
反町が尋ねる。
「ああ。この時間すいてんだよ。(三杉情報。)何?これ。」
「ああ、なんかね、石崎のお母さんがみなさんでどうぞって持ってきてくれたんだってさ。
夏みかん。おいしかったよ。」
「へえ。」
片山はテーブルの上の籠につまれた夏みかんに手を伸ばす。
片山と反町が話している間も、二人に挟まれた松山は見ているのかいないのか、
テレビから少しも目を逸らさずにいた。
「松山、半分食う?」
硬そうな皮を無理やり剥きながら、片山は松山に尋ねた。
「・・・いい。俺そろそろ戻るわ。」
すっと立ち上がると足音も無く、まるで存在を消すかのように松山は去って行った。
「・・・」
その後姿を見送りながら片山は小さくため息をつく。
思わず肩を掴んで問い詰めたくなってしまうぐらいだった。
これで確信した。
完全に自分は避けられている。
しかも全く思い当たる節がなく。
「片山さあ、何かしたの?」
「え?」
「だってー。ここんとこずーっと避けられてるっしょ?まっつんに。」
反町は片山の剥いた夏みかんをひょい、とひとつ取り上げると口に放り込んだ。
「まっつんは故意なのか無意識なのか知らないけど。
他の奴は気付かないかもしれないけど、俺そーゆーの敏感じゃん?」
さあ、何をしでかしたか白状しなさい、と冗談まがいに反町は言った。
「こっちが聞きたいっつーの。」
「え?」
片山は今度は大きくため息をつく。
思いのほか深刻そうな片山に、反町は一転、心配そうな表情に変わった。
「俺何かした?松山に。」
「・・・」
反町は顎に手を当てて逡巡している。
「・・・だよねえ?よく考えてみればお前らそう仲いいわけじゃないし。
片山も気が付かないうちに人の事怒らせるような鈍感ちゃんじゃないもんねえ。」
日向さんじゃあるまいし・・・と、つぶやく。
「だから、ちょうど岬あたりにでも探り入れてみようかと思ってたところだったんだ。」
「ふうん・・・。いつから?まっつんが態度おかしいの。」
「こないだのオフの日だな。・・・水曜日か。」
片山は三杉の部屋での出来事を話した。
「んで、三杉は俺が男と付き合ってるって知ってショックだったんだろって。
それはまあわかるけど、ここまでひきずるのもおかしくねえ?それともあいつ、そんなに潔癖症なわけ?」
・・・って、なんだよ反町その明らかに何か思い当たってる表情は・・・ 片山は反町の顔を覗き込んだ。
「・・・なに?」
「いや・・・。これは言っていいもんかどうか・・・。でもたぶんこれ原因だよなあ。」
「なんだよ。言えって。」
「でもなあ。」
「お前なあ、ルームメイトがわけのわからん疑惑をかけられてるかもしれないんだぞ。」
わかったわかった、と掴みかかる片山を制すると、反町は誰もいないか周りを見渡した。
「その日さあ、まっつんと日向さん、Jリーグ見に行ったじゃん?」
「ああ。でも別に何もなかったんだろ?三杉がそう言ってたぜ?日向が関係あんの?」
反町は苦笑いしながら言った。
「あのねえ、何かあったとしても、三杉に報告すると思う?」
「・・・しねえな。俺でもしたくねえな。」
でしょ?と反町は人差し指を立てる。
「ってことは、何かあったのか。」
「あった。とてもあったデスヨ。」
反町はちょいちょい、と片山を手招きし、耳元で言った。
「チュー、しちゃったそうです。」
「・・・は?」
片山は細い目を見開いて反町の顔を見た。
「日向さんが、まっつんに。」
「・・・」
しばーらく考えて、片山は口を開いた。
「つまりー、日向はついに自分の本当の気持ちに気付いて、思わず速攻行動に出ちまって、
大事な松山のファーストキスを奪っちまったって、そゆこと?」
「はあ?!」
今まで事件を少々楽しむかのように余裕をかましていた反町が、一転、思わず大声をあげた。
「ちょ、ちょ・・・ か、片山何言ってんの?!」
「え?!何ってなんだよ!何でお前が驚いてんだかわかんねーし!」
「だって、ひゅ」
「しっ・・・」
思わず二人してパニクって大声で話してしまった。
口を塞いで辺りを見回し、誰も居ないことを再確認する。
「とりえず、落ち着こうぜ。反町。」
片山が反町の両肩をポン、と掴む。
「う、うん。」
そろって深呼吸。
ありがたいことに、二人とも感情に流されるタイプではない。
頭の中でまとめてから、改めて会話を再開した。
「で。俺が聞きたいこと。二つ。」
反町が言った。
「日向さんの本当の気持ちって何?あとまっつんが初チューってマジ?」
「・・・」
・・・まずい、俺はすごい勢いで地雷を踏んだ・・・。
しかも二つも!!
自分らしからぬ失態に、後悔先に立たずの片山。
若島津の考えていることは、反町も考えている、と思い込んでいた。
おそらく事実であろう「自覚なしのキャプテン」は、どうやら若島津だけが感づいていたことだったようだ。
「・・・いや、その、俺が勝手にそう思ったんだよ。だってキスした、なんて言うからさ。
日向は松山のこと好きなんだって、てっきり・・・。そういう事じゃないんだ。事故的なもの、とか?」
「うんにゃ。事故的なものではないみたい。詳しい状況はよくわかんないんだけど、ついしてしまったらしい。」
「ついって何だよ。」
「つい、は、つい。」
「・・・つい・・・。ついねえ。」
「で?初チューって本当なの?まっつん。彼女いたじゃん。」
ああ・・・。それもか・・・。すまん、三杉。(とその彼女。)
「・・・絶対言うなよ。本当らしい。」
「誰の情報?」
「三杉の彼女。」
ああ〜それはマジだね、と反町は納得した。
そして松山の過敏過ぎる反応にも納得。
「・・・で、結局、俺はなんで松山に避けられてるわけ?」
「だから、俺が思うに・・・」
反町は顎に手をやって、まるで探偵のごとく言った。
「他人事なら、片山の恋人は男だったのか、そいつは驚きだぜ!で終わるところが、
日向さんにそんなことされた直後だったので、ホモなんか冗談じゃねえぜ!近づくんじゃねえ〜!!
という過剰反応になっていると。そーゆーことだと思うわけよ。」
「・・・それは八つ当たりと言わないか?」
「そうとも言う。」
片山はやれやれ、とため息をついた。
とりあえず直接的には自分は悪くないらしいことがわかって気が抜けた。
「んで?どうするの?」
「どうもこうも。八つ当たりなら放っておく。そのうち忘れんだろ。とにかく俺は何も悪くないなら良しとする。」
「おや。心が広いね。片山くん。」
大きくのびをひとつして、片山は立ち上がった。 |