「何をぼっさりとしとるんですか・・・」
「・・・んあ?」
ここは東邦学園高等部の寮。B棟310号室(角部屋)、日向小次郎と若島津健の部屋。
B棟の「鬼門」と呼ばれる場所である。

10月の初めにヨーロッパ遠征を無事終え、現在は模試直前で部活も休み。
当然あまり勉強をしていなかった若島津は大慌てで試験勉強に勤しんでいるわけであるが・・・。
背中合わせに置いてある勉強机に、日向は回転椅子に逆さ向きに座って、
目の前にある窓についたカーテンを全開にして公孫樹の並木道をぼんやりと眺めている。

「秋だなあ・・・ と思って。」
「・・・・・・・。」
熱でもあるんだろうか、この人は・・・。

「特待生だからって、あんまり赤点とってばっかりいると知りませんよ。」

「まだ一回しか取ったことねえ。」

それはきっと、何か闇の力(闇=小泉女史)が働いているからだ、と若島津は思う。
噂では特待生でも赤点を3回とったら退学らしいが・・・。

「遠征ボケですか?」

「・・・ああ。そうかもしんねえ。」
「・・・」
若島津はため息をつくと、回転椅子をキイ、と鳴らして日向の方を向いた。
確かに、遠征ボケしてもおかしくないくらい充実した日々であった。
試合内容は良かったし、海外の有名選手と会う機会なんかもあって、
実際帰国してしばらくは学園生活の現実に慣れるのに時間がかかったと言っていい。
しかしそれももう先月の話。
若島津には日向がこんなにもぼっさりとしている理由がだいたいわかっていた。

「次は冬の選手権大会ですよ。」

「ああ?」

「ま、三杉んとこに勝ったら、の話ですけど。」

そりゃ勝つに決まってんだろが、と日向が言う。

「あと、ふらのが無事地区予選を勝ち抜いたら、です。」
「・・・」
日向はしばらく間を置いて、さっきと同じように答える。

「そら、あのサッカーばかは勝つに決まってんだろが。」

「ま、来るでしょうね。」
「・・・で。」
そこでようやくくるーりと椅子を回転させると、若島津と向き合った。
「なんで松山?」
「・・・なんででしょうね。」
しばし見詰め合う二人。だが当然そこにハートマークなどは出ない。

「あんたは本当に心底鈍感なのかと思ってたんですが。」

「何ぃ?」

「そうでもないってことがわかったので。」

ヨーロッパ遠征の時に、と若島津は言った。

「ちなみに敵は100倍の鈍感さを誇っていると思われます。」
精進してください、と言うと、若島津は再び机に向かった。


そんなこんなで模試も無事終了。
そして日向さんが追試になったことは言うまでもなし。
で、今日の部活は日向さん抜き。


日向がどこかの教室で追試を受けている頃、松山光は途方に暮れていた。

(出口はどこだ・・・)

巨大迷路に迷った子供がごとく、松山は建物をきょろきょろと見渡した。
ここは東邦学園のだだっ広い敷地内のどこか。
行きは案外すんなり目的地にたどり着けたのだが、
せっかくだからちょっと都会のマンモス学園というのを見学して行こうと思って歩き始めたのが間違いだった。
(はっ!!もしかして大学の方とか来ちゃったとか・・・)
しかし辺りには同じ制服を着た人間がわらわらとしている。
どうやらまだ高校の敷地内らしい。
紺色のブレザーに、校章の刺繍の入ったブルーのネクタイ、グリーンのチェック柄のズボンと、
いかにもどこぞのデザイナーとかが考えたような制服。
これをあいつらが着てるのか、と思うとちょっと笑えてくる。
あ、でも反町とか片山は似合いそう。
日向と若島津は・・・やっぱり笑える。ぷぷ。
気が付くと、なんとなく皆様こちらを振り返っていらっしゃる。
しまった。忘れていた。
自分も制服でいるんだった。
しかも学ランだし、ちょっと真面目に上までキッチリ締めちゃってるし。
そんでもってでっかい荷物抱えて。
そりゃ目立つわ・・・。
ってか、家出少年みてえだよな・・・。
松山はとりあえず学ランの詰襟とボタンをはずし、ついでに中のYシャツのボタンも適当にはずした。

(さてと、こんなところで途方に暮れてても仕方ない。)

もう少しうろうろしてみるか、と思っていたところで、意外にも後ろから声をかけられた。

「あれ?松山くんじゃない?」

松山は思わずびくり、とした。
・・・ここは助かったと思うべきだろうか・・・。
できればサッカー部の連中には見つかりたくなかったんだが。
でも自分の名前を知っているということは、9割方サッカー部だろう。
いや、もしかしたら、全日本の試合とかテレビで見てる奴なら自分の顔を知っているかも・・・?
とか、そんなことをぐるぐると思いながら、松山はちょっぴりビクビクしながら振り返った。

「・・・・」

(えっと・・・、どちらさん?)

あからさまな表情で、松山は声の主を見た。

「松山光くんだよね?」

「あ、はい。」

「うわー。びっくり。どうしたの?北海道から来たんだよね?」

「え、ああ、はい・・・」

意外と気さくに話しかけられて、実は結構知っている人間だろうか、と考える。
「あ、わからないか。一度会っただけだもんね。ちょっとだけ。」
「え?」
会ったことがある、という相手は、笑顔が印象的で背が割と低くて、
お世辞にもスポーツをやっているという感じはしない。
一体どこで会ったと言うのだろう?

「ほら、掛川の夏の合宿のときに・・・。三杉と片山の友達の遥です。」

「・・・・・・あ。」

しばしの間の後、ようやく松山は思い出した。

「片山の彼・・・」

この場合、彼女というんだろうか、彼氏と言うんだろうか・・・。
そんなことを考えあぐねていると、それを汲み取ったかのように大地は笑って言った。
「そうそう。恋人です。」
「あー。あの時は、」

どうも、と月並みのことを言うつもりが、思い出した。
自分が彼にした、結構失礼なことを。

「あの時はっ・・・。すみませんでした!!!」

「え?!」

言われて大地も驚いてしまう。
目の前の松山は思いっきり頭を下げている。な、なんか、体育会系のノリ・・・?

「俺、なんかちょっと色々感情的になってて。突然部屋出て行っちまったりして。
気ぃ悪くしたよなって後から反省したんだけど・・・」

「そんなこと、」

「それで片山に謝っておいてもらうように伝えて・・・」

「うん、聞いた聞いた。だからさ、とりあえず頭上げてよ。」
松山は顔を上げる。
大地は参ったなあ、と苦笑いしながら頭をかいた。

「あの、本当。全然気にしてないので。」

「・・・う、うん。」

二人は顔をあわせて、気まずそうに笑い合った。

「それで?何してるの?こんなところで。誰かに会いに来たの?」

「いや、もう用事は済んだんだけど・・・。どこから出たら良いのかわかんなくなっちまって。」

はは、と照れ笑いしながら松山は答える。

「じゃあ、もう帰るの?」

「ああ。」
「これから北海道まで?」
「いや、それが、その・・・。ま、それも色々あって。」

「?」

松山は一瞬躊躇する。
これ以上心配をかける相手ではないのはわかっている。
でもなんとなく話さないとならない流れができているというか・・・。
「・・・もしかして、泊まるとこ探してるとか?」
「あ、いや。そのー。ビジネスホテルでも泊まろうと思って。これから探すんだ。」
「この辺にはないよ。都内だけど郊外だし。
それにそんなお金かけなくてもさ、うちのゲストハウスに泊まればいいんじゃない?」

「・・・って、さっきも言われたんだけど・・・」

「さっきも?」

松山は結局、大地に全てを話してしまった。
小泉女史に同じようにゲストハウスに泊まるようにすすめられたが、
元々親戚の家に泊まることになっていたので断ってしまったこと。
だけどその親戚から、その家のおじいちゃんが急に入院することになったとかで
泊まらせることができなくなったとつい先ほど連絡がきたこと。
その親戚も遠縁なので無理は言えなかったこと。
そして今更またゲストハウスにやっぱり泊まりたいです・・・なんて言い出しづらいこと・・・。

「なんだ。そんなの。うちの寮に泊まればいいじゃない。」

「へ?」

あっさりと大地に解決策を打ち出され、松山は思わずマヌケ声になってしまった。
「大丈夫大丈夫。うち結構そういうの緩いし。
しょっちゅう寮生じゃないけど帰れなくなって泊まる奴とかいるから。余分な布団もどっかにあるし。」

「・・・」

大地はにっこりと微笑む。
松山にとっては渡りに船ではあるが・・・。
しかしそれはかなりの確率でサッカー部の誰かに遭遇するってことじゃないだろうか。
いやいや、それでも慣れない都会で路頭に迷うよりはなんぼかマシか?

うぬ〜・・・。
「とりあえず、俺まだクラブの途中なんだよね。」
「あ、そうなんだ。」
「えっと、どうしよう。サッカー部に案内してあげたいんだけど、
なんか専用のグラウンドがいくつかあるみたくて、どこでやってるんだか知らないんだよね。」

「いえいえいえいえ、お気遣い無く。」
そう?と大地は首を傾げる。
ってか専用グラウンドいくつもあるって何だ?!
うちなんか野球部と取り合ってんだぞ!
吹雪いてる時なんか体育館をバレー部とバスケ部と取り合うんだぞ!と、心の中で叫び続ける雪ん子松山。
「じゃあ、良かったらうちのクラブに付いてくる?今片山こっちに来てるし。」
「え?片山?」

「うん。大会近いから、こっちメインにしてもらってるんだ。」

なんだかよくわからないが、東邦サッカー部でも片山になら会っても良い。
あいつはサッカー部だけど選手じゃないし、まだ付き合いも浅いし。
それにうまくすれば味方になってくれて、サッカー部連中を回避してもらえたりするかもしれない・・・
などと、松山は都合良く考えてみた。
じゃあ、そうさせてもらう、と松山は大地に付いていくことにした。

「ロボット研究会?」
「そう。片山から聞いてない?」
二人は連れ立って南校舎の階段を昇っていた。
学ランの松山は誰かとすれ違う度、もの珍しそうな顔で振り返られる。
「・・・ああ、なんかサッカー部に入ることになって掛持ちするはめになったとか言ってたような気がする。」
「そうそう。」
「てっきりバスケかバレーだと思ってたのに。でかいから。」

「宝の持ち腐れだよねえ。運動神経も人並み以上なのに。」

くすくすと笑いながら大地が言った。

「まあ、事情はあるんだけどね。」

「何?」

「絶対他の人には言わない?」
「言わない。」
たいした知り合いでもない松山に、恋人の秘密を明かしてしまっていいのだろうかと突っ込みたくもなるが、
大地は松山は口が堅い、と思ったらしい。

「勝負嫌いなんだよね。あの人」

「・・・?勝負嫌い?」

「そ。中学の時は剣道部に入ってて全国大会で優勝したりしてたんだけど。
俺も詳しくは知らないんだけど、試合中、相手にケガさせちゃったらしくて。
それ以来、スポーツの真剣勝負とか絶対しないんだ。」

「・・・ふうん。」
「俺もそーゆーの良くないって言ってるんだけど、いつまで逃げてるつもりなんだか・・・。
サッカー部に入ったことが、いいきっかけになればいいのにね。」
「・・・。」
常に自信満々、迷うところナシの男かと思っていたのに。 
松山は片山の意外な面を知って、少々複雑な思いになった。

第二理科室の引き戸を開ける。中ではロボットと思わしきものを囲んで、数名が何か話しているのが見える。
「ただいまー。」
「おかえり。大地。電池売ってた?」

「うん。片山、ちょっとちょっと。」

「?」

手招きされて大地の方へ駆け寄ると、後ろには見覚えのある顔。
「え?!松山?」
「よう。」
「うおー。びっくりした。何してんの?お前。こんなところで。」
「まあ、ちょっと。」
片山の視線が物珍しげに上下に動く。
「・・・どうせ田舎もんだよ。」
「そんな事言ってねえよ。学ラン、かわいいじゃんって思って。」
「なっ///
ばっと赤くなる松山。隣でむっとする大地に片山は気付いていない。

「で。何でこんなとこにいるわけ?」

松山がなんとなく話しづらそうにしていたので、大地がここまでのいきさつを簡単に説明した。
「ふうん。ま、泊まっていくのは全然問題ないよ。」
好きなとこ泊まってけよ、と笑顔で片山は言う。
「ついでに俺が食券をプレゼントする。寮で着替えちまえば外部の人間だとは思われないし。」
「お前、いい奴だなあ。」

「それはそうと、俺が聞きたいのは」

「わーってるよ。俺が東邦に何しに来たかだろ?後でゆっくり話すって。
それよりそのロボットって見せてくれよ。」

「・・・」

(こいつ明らかに誤魔化そうとしてねえか・・・?)
気付けば松山は、大地のところに行って何か説明をしてもらっている。
(まあ、いいか。)

相手が松山なら苦労はしまい、と、話を聞くのは後回しにすることにした。


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