荒々しくドアを開けて入ってきたのは、同室の日向ではなく松山だった。
「松山。」
岬の声が耳に入ったのか入らなかったのか、松山は何も言わず、空いている方のベッドにうつぶせに倒れた。

「松山?Jリーグ見に行ったんだって?」
自分のベッドで横になりながら文庫本を読んでいた岬は、黒縁の眼鏡をはずすとそのままの体勢で話しかける。
「・・・うん。」
「松山?」
だが松山はうつぶせになったまま。
(バカ日向!バカ日向!!)
頭は完全にパニくっていた。落ち着くように大きく深呼吸を一回。
と、ふいに嗅いだことのある匂いに気づく。

(・・・あ、俺、この匂い好きだ。)

松山は目を閉じるとその匂いに浸った。
(なんか、あったかくて、お日様の匂い・・・)
「・・・」
(ん?)

がばっと松山は顔を上げると、隣のベッドの岬を見た。

「岬、このベッド、誰んだ?」

「・・・誰のって、何言ってんの?松山。小次郎に決まってるじゃない。」
「っ・・・///
弾かれたように飛び降りると、松山は岬のベッドに乗った。
そして無理やりに岬と壁の間に身体を挟みこみ、壁側を向き寝転んだ。

「・・・さっきから何してんのさ。」

少々呆れたような岬の声。

「小次郎と何かあったの?」

その言葉に反応して松山の身体がびくっと動く。

「な、なんでっ」

「なんでって、それ以外に何があるの?」
僕が小次郎って言うたびに反応してるくせに、と岬が言う。
「な、んでも、ない。」
背を向けたまま松山は答えた。
岬は身体は横たえたまま、頭を上げると手で支えた。

「それって、僕にも話せないようなこと?」

「・・・」

大好きな幼馴染の声に、松山は少し肩の力が抜ける。
松山も、岬の前では素直になってしまう。これまでだって岬にだけは何でも話してきた。
こんな風に言われては話さない訳にはいかない。
「・・・キ」
「き?」
「・・・キスされた。」
「・・・」

岬は一瞬自分の耳を疑った。
(はあ?!キスされた?小次郎に?!)

本当はものすごぅく慌てている自分をひた隠し、落ち着いたふりをして、
見えないがおそらく顔が真っ赤になっているだろう松山の背中に岬はそっと声をかけた。

「・・・それは、なんてゆーか、・・・事故、みたいなものではなく?」

松山は黙って頷く。

「・・・いきなり?」

再び無言の頷き。

まるで小さな子供のような松山の態度に岬は小さく笑みをこぼし、そのまま言葉を続ける。

「で、小次郎はなんだって?」

「・・・何が?」

「だから・・・」

愛の告白とかあったのか?と本当は聞きたかったのだが、どうもそういう雰囲気ではなかったようだ。
それにそんなこと聞いたら、松山は再び大パニックになるに違いない。

「・・・悪かったって。」

岬の意図に反する答えを松山は返した。まあ、それはそれでいいか、と、そのまま続けた。

「謝ったんだね。」

「なんか、つい、って言ってた。」

(・・・小次郎・・・)

ついって・・・。
もう一人の幼馴染の気の利かない言い訳に、岬は思わずため息をついてしまう。
(ったく、しょうがないなあ。不器用なんだから。)
岬は苦笑いする。

(あとで小次郎に恩返ししてもらわないとね。)

「松山、キスってさ、友達でもできるんだよ。」

岬は松山の硬質な髪を後ろからくしゃくしゃとなでた。

「ここは日本だからしないけど、僕フランスでは毎日あいさつがわりにキスしてたもの。
僕、松山とだったらキスできるよ?」

そう言うと、岬は身体を少し起こして、チュっと松山の頬にキスをした。

「・・・
///
松山は思わず振り向き、岬の顔を見た。岬はにっこりと微笑む。
「僕のキス、やじゃないでしょ?」
「・・・」

松山は恥ずかしそうに、先ほど岬にキスされた頬を手でなでた。

「み、岬は、やじゃない。」

「小次郎は?」
「・・・」
普段の松山なら「嫌に決まってんだろうが!!」と間髪いれずに怒鳴るところだが、岬相手にはそうはしない。
聞かれたことに対して、時間をかけてじっくり考える。

「・・・よかねえけど・・・」

「・・・」

「嫌・・・じゃ、なかった・・・」

と思う。と、消え入るような声で言う。

(へえー。嫌じゃないんだ。良かったじゃん。小次郎。)

嫌だ!と言われると思って次のセリフを考えていたのに、意外な答えに岬は思わず笑みをこぼす。

その時、トントン、とノックの音がした。

「岬。松山いるんだろ?」

すぐに誰の声かわかる。でもそれは普段よりも更に低い声で。
岬は松山にそのままで、と合図をすると、ドアに向かった。

ドアが少しだけ開き、そこから岬の目だけが覗いている。
その目は完全にすわっており、開いたドアの隙間から黒いオーラがゴゴゴゴゴ・・・と出ているようである。(笑)

「岬・・・」

「ちょっと、小次郎。僕のかわいい松山に何してくれてるの?」

日向の顔が、ばっと赤くなる。あれ?これまた意外な反応。と思ったが、怒りの眼差しはそのままで。

「聞いたのか?」

「聞いた。」

さっきまでは完全に開き直っていたのに、
岬に知られたと聞いて急にすっごく悪いことをしてしまったような気になる。
それは岬が松山を大切に想っていることを知っているから。
そして自分にとっても大事な幼馴染だから。
・・・三杉よりも知られたくない相手だったかもしれない。

「その、」

「反省してる?」

「へ?」

もっと何か責められると思っていたから、日向は少し拍子抜けした。

「反省、してる?」

「・・・してる。」

岬は小さくため息をつき、そこでようやく笑顔を見せるとドアを開け廊下に出てきた。
そして後ろ手でドアを閉めた。

「だいたいさ、いきなりなんて、反則なんじゃない?」

「え」
「物事にはね、順序ってものがあるんだよ。小次郎。」
「いや、その、」
「好きな子に嫌われたくなければ、ちゃんと考えて行動するんだね。」
「別に俺はっ・・・///」

岬は日向の返事を待たず、腕を掴むとドアを開け部屋の中に入った。
岬のベッドには松山がうつ伏せで転がっていた。

「松山。小次郎反省してるって。ごめんなさいだって。」

「・・・」
松山は顔を上げ、日向を見た。
「・・・本当だろうな。」
「本当だよね。小次郎。」

岬がにっこり微笑んで日向を見る。
こ、こわい・・・。
日向はその笑顔に凍りついた。

「本当、だ。」

「ごめんなさいは?」
「ご、ごめんなさい。」
さすが岬。あの日向に「悪ぃ。」でもなく「すまん。」でもなく「ごめんなさい。」と言わせるとは・・・。
「わかった。ここは岬に免じて許してやる。冗談でも二度とすんなよ!」

びしっと人差し指を日向に向ける。そしてベッドから飛び降りた。

「じゃー俺戻る。」

「うん。また夕飯のとき食堂でね。」

岬がにっこりと微笑んで言う。松山もつられたように笑顔を見せて部屋を後にした。
そんな二人の様子を見て、日向は岬パワーに感心してしまう。(ってか単純な松山にもある意味感心する・・・)
さすが、あの翼と友情を築ける男だぜ・・・。

「小次郎、貸しひとつだかんね。」

「・・・」
悪魔の・・・もとい、天使の微笑みで岬が言った。
日向はやっぱり三杉よりも岬の方がよっぽどコワイ、と思わずにはいられなかった・・・。



夕方になって、片山が自室のドアをノックして開けると、そこには三杉と日向と松山が座っていた。
それ程広い部屋ではないのに三人でぎゅうぎゅうに、
どこからか持ってきた折りたたみ式の小さなテーブルを広げてちんまり座っている。
その光景に片山は思わず吹き出しそうになった。
「お帰り、片山。」
三杉が微笑んで言った。
「ミーティング?」
「いや、今日のJリーグの観戦報告会。」
「・・・なんでこんな狭ぇところで・・・」
「だって、ミーティング室だとコーヒー飲めないじゃないか。」

見れば小さなテーブルの上にカップが三つ。
三杉はわざわざ彼がこだわって選びぬいたというドリップ式のコーヒーを持ち込んでいて、
誰かが来るたびにそれを丁寧に淹れて振舞うのが好きらしい。
用事もないのにしょっちゅうやってくる若島津はそれが目当てなわけだ。
ちなみに日向と松山はそんなこだわりコーヒーを飲ませるのは大変もったいないタイプである・・・。

「悪ぃ、俺も居た方が良かった?」

「いや、もう済んだし。それに日向が意外と丁寧にノートにまとめてくれてるからそれを読んだらいい。」
三杉はわざと「意外と」を強調して言う。
一瞬睨むような目をした日向だったが、三杉相手に喧嘩する気も起きないらしく、
ふん、と小さく鼻をならすと目線を逸らした。
ちょいちょい、と背中を指でつつかれ片山が振り向くと、背中に隠れるように立っていた大地が見上げていた。
「お邪魔みたい?」

「いや。」

片山は少し身体を避け、大地が通れるスペースをつくる。
大地は戸惑いながらひょこっと顔を見せた。

「三杉!!」
「っ・・・遥?」
二人は嬉しそうに駆け寄った。
「元気だった?」

「ああ。遥は?」

「俺はいつだって元気だよ。三杉体調は?今日も病院だったんでしょ?」
久しぶりの再会を喜ぶ二人を横目に、片山は部屋の奥に進みさっきまで三杉の座っていたところに腰を降ろした。
「ああ。」
思い出したように、ぽん、と日向が手を叩いた。
「遥大地。」
どうやらようやく顔と名前が一致した、らしい。
遅いっつーの、と片山は心の中でつっこんだ。

「去年隣のクラスで、体育一緒だった、ような気がする。」

「ふーん、じゃあ3組だったんだ。」

そんな会話をかわしていると、当然話についていけない松山は疎外感を感じたようで少々むすっとしていた。
「あいつ、俺と三杉とは中学の同級で、今は東邦で俺たちと一緒。」
特に求められたわけではないが、性格上片山はすかさずフォローするように説明を入れた。
ふうん、と松山は素直に納得した様子で言う。
「で、俺のかわいい恋人。」
なんの躊躇もなくそう付け加える。
ふうん、と、さっきと同様の返事を返す松山。
そして2秒後。
「・・・え?」
松山は驚いた顔で片山を見て、
それから今度はキッチンで大地の分のコーヒーを淹れる三杉とまだ話し込んでいる大地の顔をまじまじと眺めた。

「・・・」

(俺はとても失礼なことを思っただろうか?)
松山は首を傾げ、神妙な顔で片山を見た。
「・・・女の子?」
「な、わけねーだろ。」
「・・・」
「ついてるもんついてますよ。」
にやにやしながら言う片山。
一方パニクって固まっている松山。

「かわいいっしょ?」

「・・・・
///

なんでお前が真っ赤になるんだ?と少々疑問に思いながらも松山の顔を覗き込むと、
今度は見る見る間に怒った表情になっていった。

「・・・お、俺、もう部屋戻る。」

「え?おい。」
片山が止める間もなく松山は突然立ち上がるとずかずかと歩き、
キッチンにいる二人も押しのけるようにして部屋を出て行った。
「・・・どうか、したのかい?」
三杉がびっくりした顔で片山と日向の方を見た。
片山は、さあ、と首をすくめる。

「俺、なんか怒らせた?」

片山は日向に尋ねた。
が、日向は目線を合わすことなく、知らん、と言う。
と、日向も立ち上がった。
「俺も戻るぜ。もういいだろ?これな。」
日向はノートを片山に手渡すと、立ち上がり部屋を出て行った。
「・・・ごめん、俺のせい、かな?」
大地が不安げな目で片山を見た。
片山と三杉が同時にそんなことない、と言う。

「彼らはいつもあんな風に自分勝手なんだからさ。」
三杉が微笑んで言った。
大地もその言葉を聞いてほっとした表情を見せる。

(なんなんだよ、二人とも。)

片山は大地に気付かれない程度に小さくため息をつく。
日向はわかる。あいつは本っ当に団体行動とか苦手な奴だし、人に気を使うとかあんまりしないし。
でも松山は?
日向に対してそういう態度に出るのはわかるけど、それ以外の人間に対してはむしろ頑張り過ぎってくらいに気を使う。
初対面ならなおさらと言ってもいいくらいだ。それが・・・。



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