「触ったじゃん!こ、腰とかっ」
風呂から戻った反町が自室のドアを開けようとして手を止める。聞こえてくるのはどうやら大地の声のようである。
「そんなのいつものことだろ。お前今まで怒らなかったくせにそんな急にとってつけたようなこと言うなよ。」
一方、もううんざりといった風な片山の声。
(痴話喧嘩なら外でやってくれないかねえ。)

大きくため息をついて、仕方なしにドアに寄りかかる。

(だいたい、ここ壁もなんも薄いんだからさー。まる聞こえだってーの。)

「本当は何?」

「・・・・・・」

口をへの字にして上目遣いに見上げてくる大地に、片山は言った。

「黙ってちゃわかんない。言ってくれなきゃ何を反省していいかもわかんない。」
淡々とそう言う片山に、大地はふくれっ面のまま、ようやくボソボソと話し始めた。

「・・・くんのこと」

「何?」

「松山君のこと、口説いてた。」

片山と、ついでにドアの向こうの反町が同時に固まった。

「・・・・・はあ?いつだよ。」

(をいをい。聞き捨てならないこと言うねえ、大地君。)

大地は頬をぷうっと膨らませて続けた。

「かわいいとか言ってた。」

「・・・・言ってたか?んなこと。」

「言ってた!!俺がロボ研に連れてきた時!制服姿見て、」

ああ、とようやく片山は思い出す。

「あいさつじゃん、そんなもん。」

「片山、男にも色目使うんだね。最悪。」

「・・・お前なあ、いい加減にしないといくら俺でも」

ついにマジギレ寸前とばかりに片山が声を低くしたところで、タイミング良く反町がドアを開けた。

「たっだいまー。おや、大地君。いらっしゃーい☆」

「・・・俺、部屋戻る。」

大地は反町の顔も見ず、横をすり抜けると部屋を出た。


「・・・いいの?追いかけなくて。」

微動だにしない片山に、反町が言う。

「知るかよ。」

「・・・・」

(ったく・・・)

反町は小さくため息をつくと、風呂セットを置いて部屋を出て行った。


「だーいちくん。」

「・・・・」

階段を降りかけたところで、反町の声に大地は足を止めた。
振り返った顔は怒っているというよりは、もうすでに半泣きで・・・

(やれやれ。)

「痴話ケンカするのはいいけどさー。ここ壁薄いから、外までまる聞こえだよ。」

「っ・・・
///

大地は思わず顔を赤くして俯いた。

「・・・あのさ、俺が口出しするのもなんだとは思うんだけど。」
「・・・・」
「まっつん・・・ 松山はさ。実際片山の言うとおりなんだよ。
なんつーの?からかわれてなんぼみたいなポジションってゆーか。
反応が面白いから、ついみんなしてからかっちゃうわけ。
だから、片山があいさつがわりに「かわいい」なんつってたのも、全日本じゃいつものことでさあ。」

大地は唇を噛みしめたまま、じっと反町の言葉に耳を傾けている。

「片山、ここんとこマジで凹んでたんだぜ?」

「・・・・・」

「このままだと、うちの部にも影響出兼ねないしさー。ね。ここは俺の顔に免じて、仲直りしてくれない?」
大地は何か言いたげにもじもじしていたが、まだ言葉にできないでいるようだった。
「片山が大地君にメロメロきゅーなことは、このそりちゃんと、
相方の孝平君が120パーセント保証するデスヨ。」
ね、と笑顔で反町は大地の顔を覗き込む。ようやく、大地は少し笑顔を見せて反町の顔を見た。
「・・・う、うん。」
「じゃ、仲直りしてくれる?」
「・・・考えとく。」
大地は じゃあ、と言うと、階段を駆け下りていった。
「考えとく。」とは言っていたが、あの表情はもう大丈夫だ、と反町は確信した。


「今度の土曜日は練習休みだからー、デートでも誘ってみたらどーですかー?」
部屋に戻ってきた反町が言った。
片山はあいかわらず、先ほどから少しも動いていない様子で床に座っていた。

「・・・・」

「あんまり勘違いさせるようなこと、恋人の前でしちゃダメダメよん。」

そこでようやく、片山は笑顔を見せた。
「あれ?余計なお世話だった?」
「いや、サンキュ。正直、困ってた。」
片山は苦笑いしてため息をついた。反町もつられて少し苦笑い。

「ま、でもあれだよね。実際まっつんってばかわいーもんね。大地君がやきもち妬いても当然かも。」

そう言いながら、反町は隠し冷蔵庫からコーラを一本取り出し蓋を開けた。

「学ランも妙に似合っちゃっててさ。あ、ほら。あん時の日向さんの顔ってば見た?きょとーんとしちゃって。」

くくくく、と喉の奥で笑う。それから一気にコーラを飲み干すと、ぷはーと息を吐いた。

「俺、思うんだけどー。」
反町は空き缶を持って洗面台に向かう。
その間も口は止まらないでいる。水道の蛇口のひねる音がして、バシャバシャと水音が聞こえてくる。
飲み干した空き缶を洗っているようだ。
「案外、日向さんて、まっつんのこと本気だったりしてね。」
「・・・・え?」
「だってあの時だってさあ。まっつんが外に出てって、なんか上着持って追いかけてっちゃったりしてさー。」
洗った空き缶を片手に反町は戻ってきた。そしてそれを、くずかごに捨てた。
片山は、いつもより饒舌な友人を、何か複雑な思いで見つめていた。
「ね、そう思わない?」
「・・・・」
(反町・・・)

片山の胸がチクンと痛む。
反町は・・・ やはり松山のことが好きなのだ。
そしてきっと、一生その気持ちを誰にも、もちろん松山自身にも明かすつもりはないのだ。

突然、憶測が確信に変わった。
「・・・反町」

「うん?」

(俺は・・・)

間違ってるのだろうか?余計なお世話なのだろうか?
長年の親友である若島津がそっとしておこうと言っているというのに。それを撹乱するような真似をして・・・

「日向な、言ったらしいぞ。」

「・・・・え?」

・・・でも

(悪い、若島津。俺、やっぱり放っておけねえ。)
「日向、松山に告ったらしい。」
「・・・・へ、へえ!!そうなんだ。」
反町はあからさまな作り笑顔を見せた。
「いやー!そりちゃんもさすがにびっくりだわ〜っ ってかそれって超トップシークレットじゃん!!いつの話?」
「だから、あれだろ。さっき言ってた、こないだ松山が来た時に日向が上着持って追いかけていって・・・」
「そうだったんだ。日向さんってば本当に本気だったんだねえ。俺の恋愛レーダーはやはり正しかったか。」
いやー、びっくりびっくり、と反町は繰り返した。

「で?で?お返事は?」

「なんか、うやむやになったとか・・・」

「ふうん。」

うやむやねえ・・・と、言いながら、反町は立ち上がり、うーん とひとつ伸びをした。

「ここは応援すべきなんだろうかねえ?んで?片山さんの見解は?」
イタズラな笑みを浮かべて、反町は片山の顔を見た。
「・・・反町。」
が、正反対に神妙な片山の、顔。
「・・・なんだよ。」

「お前はいいのか?」

「え?」

「だから、お前はそれでいいのかって、聞いてるんだよ。」

「何、言ってんのか、よくわかんないけど・・・」

反町の顔が、一気に素に戻る。

「だって、お前、松山のこと」

「ストーップ!」

反町の珍しく鋭い声に、片山は言葉を飲んだ。

「・・・あのさ、お前、それ以上何言う気なわけ?」
「余計なお世話だってことはわかってるよ。けどっ」
「余計なお世話だ。」
「・・・・」
普段のそれとは違う、反町の低い声。

「・・・黙って指くわえて見てるつもりなのか?」

「それが余計だって言ってるだろ。」

「俺は、」

「片山。」

すっと人差し指を前に出し、片山の唇を押さえる。

「俺は、このポジションが気に入ってるの。」

そう言った反町の顔はいつもの笑顔で・・・

Are you OK?デスカ?」
「・・・・OKじゃねえだろがよ・・・」
大きくため息をついて、片山は俯いた。

反町は苦笑いすると、短い梯子を昇ってベッドに寝転がった。
「風呂、行って来る。」
片山は引き出しから着替えとタオルを引っ張り出した。
「電気消して。」と反町の声が聞こえ、片山は言われたとおり電気を豆電にした。

「・・・・片山」

「うん?」

「・・・そりちゃん、ひとつ懺悔してもいいですかー・・・」

「・・・なんだよ。」
へへ、と小さな笑い声が聞こえた。
「知ってた。日向さんがまっつんに告ったこと。」
「・・・・え・・・」
「あの時・・・。日向さんがまっつんのこと追いかけて外に出てって。
俺、なんか二人きりになられるのがすっげー嫌でさあ・・・。
ちょっとしてから二人のこと探しに外に出たんだ。そしたら・・・衝撃的な告白の真っ最中だろ?」
反町の声は、少しだけ震えていた。
「それで、俺、見回りが来たって嘘ついたんだ。・・・まっつんの返事、聞きたくなくて・・・」
「・・・反町・・・」
「最っ低だよな。俺って。自分じゃ何もできないくせに、人の恋路の邪魔するなんて。
ホント、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえーってやつ?」
ふふふ・・・と自嘲的な笑いをこぼす。片山はため息をつくと、反町のベッドの梯子に足をかけ覗き込んだ。
掛け布団を頭からかぶり、小さく背中を丸めた反町がいる。

「なあ・・・ 余計かもしんねーけどさ・・・」
「・・・・・」
「後悔だけはすんなよな。」
ポンポン、と丸めた背中を叩くと、片山は梯子を降り部屋を出て行った。


(後悔するなって・・・今更どうしろって言うんだよ・・・)
反町はさらに身体を小さく丸めた。
(俺もあいつに告白しろって?日向さんに宣戦布告しろって?)


長い夜が、反町を包み込んでいった。



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