片山が部室に着くと、そこには大地一人しかいなかった。

「片山。」
笑顔を見せて片山の名前を呼ぶのは、彼の中学の時からの友達であり、現在愛する恋人でもある遥大地だ。

「おっす。大地。」
椅子に座って雑誌を読む大地の横まで進み、片山の手がおもむろに顎に添えられその唇を奪う。
眉より短い前髪が驚きで小さく揺れ動き、大地はすぐに顔を背けた。
「やめろよ!こんなところで。」
「いいじゃん。他に誰もいねーし。」
「そういう問題じゃないの!」
大地の頬に朱が走る。
まったく、今更キスくらいで何照れてんだか、と呆れる片山だが、
そうやっていちいち反応する恋人の表情を楽しんでいるのも事実で。
「今日も第2理科室借りれるってさ。」
「おう。」

ロボット研究会の部室は決して広くはない。
いや、実際は割と広い方なのだが、パソコンだの本だの材料だのが詰め込まれていて、結果的に狭くなっている。
大抵はどこかの教室を借りて作業を行う。最近は第2理科室が多いようだ。
ロボット研究会は二年がこの2人とプラス1人、先輩が2人、後輩が6人の計10人。
工学の未曾有の天才とまで呼ばれる大地のおかげもあってか、今年は一年生がたくさん(このクラブにしては。)入った。
扉の伝言板に「今日は第2理科室」と書いて必要なものを持ち、片山と大地は連れ立って第2理科室を目指した。
部室は南校舎の5階で、第2理科室は同じ校舎の3階にある。
小、中、高、大学までが同じ敷地内にあるマンモス学園のため、一つの建物も6階建てや7階建てになっていて、
エレベーターも普通についている。(ただし生徒は基本的に使用禁止。)

第2理科室に到着し、作りかけのロボットとパソコンを繋ぐ。
「実は昨日完成させたんだ、プログラミング。」
そう言って大地は鞄からディスクを取り出す。
「ちょっと時間かかるから待ってて。」
大地にそう言われ、片山はなんとなしに窓際の低いロッカーの上に座った。
この位置からはサッカーの専用グラウンドが見下ろせた。
どうやらミニゲームをやっているようだ。
顔までははっきり見えないが、知っている人間の判別くらいはついた。
日向と反町。GK若島津はすぐにわかる。
三人は同じチームのようだった。
赤チームと白チームに分かれているようだが変則試合らしく、明らかに三人のいる赤チームの人数が少ない。
だがそこはさすが全日本選抜メンバー。人数なんか関係なしにすごい攻めをみせている。
でも・・・
(あ、また反町とられやがった。)
さすがに7対11は厳しいのか、反町は激しいマークをはずせないようだ。
(待てよ・・・ 反町の反対側にいるあいつが中盤まで下がって・・・)
片山が暇つぶしにそんなことを考えていると大地に呼ばれた。
「片山、できたよ。」
「ああ、うん。」
「何?」
「うん?ああ、サッカー部。」
「サッカー?」
「ああ。」
片山はロッカーから降りると大地に近づいた。
「今日俺、日向がGKしてるチームに勝ったんだぜ。一点取ってさ。」
「へえ、すごいじゃん。日向君て全日本のエースストライカーでしょ?」
「すごいだろ?誉めて。」
チュっと小さく音を立て、片山は大地にキスをする。
お約束のように顔を赤くした大地だが、もう、とか何とかいいながら片山の頭を小突く。
「だから、やめろって。誰か来たら・・・」
「来たよー。」
にやにやしながら扉に立っているのはもう一人の二年、横田雅紀だった。
「ごちそうさま。」
笑いながら横田は教室に入ってきた。
大地は更に顔を真っ赤にして片山の頭をはたいた。
「いって。」
「よこだったからいいけど、後輩とかだったらどうするんだよ!」
ぷんぷん、という擬音がぴったりといった感じの怒り方。
一応、片山と大地の仲は秘密、ということになっているが、実のところ割と知られている。
少なくとも片山の友達はだいたい知っているし、彼としては今更隠す気もないらしい。
悪いことしてるわけじゃなし、むしろうるさい女子高生共が寄り付かないならその方がありがたいと思っているくらいだ。
だが大地の方はまだ抵抗があるようで・・・。
実際男子校で全寮制なんだから男のカップルも結構いるわけで、そこら辺は暗黙の了解になってたりする。
「今夜はおあずけだな。」
耳元で笑いながら横田が囁く。
「今夜どころか寮じゃやんねーよ。ばーか。」
片山が言うと、そっか、と笑いながら横田は鞄を置いた。


夜八時過ぎ、片山は食堂で夕飯をとってから寮の部屋に戻った。
ルームメイトの反町はまだ戻ってきていない。
だがそれもいつものことである。電気をつけ、上着を脱ぐ。
と、ふいに反町の机に目がいった。彼らしくきちんと整頓されている机の上。
片山は本棚にサッカー関連の本を見つけた。
なんとなく手にとってパラパラとめくっていると、先程の変則試合を思い出した。
(反町がまたボールをとられないためには、反対側にいるFWがMFの位置まで下がって・・・)
サッカーは嫌いではないがこうして専門書を読むのは初めてだった。
なかなか面白いもんだ、と思う。
片山はスポーツなら大抵人並み以上にはできる。
もともと運動神経は良いし、ただでさえ人並みはずれて背が高い。
けれど勝敗に興味がないのか、楽しむ以上を望まないのか、とにかくまともに何か一つ絞り込んで練習したためしがない。

そのうち反町が帰ってきた。
世間話程度の会話を交わすと、反町はいつものように真っ先に風呂に向かった。
寮は五階建てで二人の部屋は三階に、風呂は共同の大浴場が一階にある。
「あーーー、疲れた〜。」
風呂からあがってきた反町はバッタリとベッドに倒れた。
片山は自分の机でまだサッカーの専門書を読んでいた。
「あ、これ、借りてる。」
「何?」
片山は持っていた本の表紙を反町に向けた。
「・・・めずらしい。」
「お前さー、今日のミニゲーム、同じところで何度かボールとられてたろ。」
「何で知ってんのさ?」
反町は身体を起こし片山を見た。
「ロボ研、第2理科室でやってたから。ちょうど見えた。」
反町は、あーーー、と叫びながら再びベッドに倒れる。
「俺それで今日、日向さんに怒られてさー。ちょっと凹んでるんだよね〜。」
「でもあれさ、お前のせいばっかじゃないだろ。」
「え?」
「だから、お前のチーム、GKの若島津いれないと6人しかいないだろ?
お前の反対側にいる奴がMFまでさがってフォローすべきなんだよ。」
なんて、本の受け売りだけど、と少し笑いながら片山が言う。
反町が以外にも真面目に聞いてくれそうな素振りを見せたので、彼は続けて自分があれこれ考えていたことと、
つい今まで読みふけっていた専門書の知識を結びつけながら話した。
突然の意外なアドバイスに、反町は思わず尋ねた。
「あ、明日もさ、同じミニゲームやるんだけど、どうしたらいいと思う?」
「うーんと、」
片山は持っていた本の真ん中あたりのページを開いて反町に見せた。
「つまり、お前らはこう、GKの若島津からCFの日向まで一本ラインをつくってるわけじゃん?」
「うん。」
「人数が少ない分、パスで短く繋いでいくのは難しいじゃん?こんなライン作ったところでパスカットされて当然なわけだ。
若島津がGKしてるんだったら、ほぼ絶対得点されるはずがないわけだから・・・。DFは置かないつもりでもっと幅を使って・・・」
片山の説明を反町は熱心に聞いていた。
日向に叱られて相当凹んだんだろう。藁にもすがる気持ちだったのかもしれない。
一通り説明し終わると、なるほど、と何度か大きく頷いた。

「よっし!早速明日試してみるわ。」
「お前、安直だなあ・・・。そりゃ構わないけど、所詮は素人の浅知恵だぜ?こんなの。失敗したって俺のせいじゃないからな。」
得意げに話し続けた片山ではあったが、ふと我に返ればよくもまあ、
全日本選抜メンバーの前でそんなこと言ったものだと少し恥ずかしくなった。
「そんなことない。俺すげー納得したし。」
片山のそんな思いを知ってか知らずか、満面の笑みで反町は嬉しそうに言った。
「それにしても片山、サッカーに興味ないとか言って詳しいんじゃん。」
「あ、日向だろ。それ言ったの。」
「そうだよ。それもあって日向さん機嫌悪かったんだからな!」
とって付けたように言うと反町は片山に目の前にあった枕を投げつける。
「何だよ、人のせいにすんなよ。」
きっちりキャッチして、片山はそれでも不憫に思ったのかやんわりと投げ返した。
いや、まじで、と笑いながら反町は言う。
「本当に興味ないわけ?」
「・・・うーん、興味ないっていうか、お前らみたいにこう、部活に入ってやるまではするつもりないっていうか・・・。
別にサッカーは嫌いじゃないよ。ほら、いつだったかフランスでの国際Jrユース大会だか何かやってたろ?
あの時だってずっとテレビ見てたし。中学の時もよく試合応援に行ってたよ。うち強かったからさ。」
「え?」
「武蔵。」
「ええ?!そうだったの?!」
反町は本当に驚いて目を丸くした。
「じゃあ三杉と一緒?!」
「そうそう。だから中3で東邦に負けた時はまじ悔しかったなあ。」
片山は椅子の背もたれをキイキイと鳴らしながら言った。
「三杉とは割と仲いい方だったから、時々サッカーの話とかもしたし。」
「ふうん。なんか仲いいの納得だけど・・・。近づきたくない二人だね。」
苦笑いしながら反町が言うと、どういう意味だよ!と片山がつっこんだ。


片山の吹き込んだ作戦が功を奏したようで、翌日のミニゲームは反町たちのチームが圧勝した。
おかげですっかりハマってしまった片山は、勝手に反町の机の上にあったサッカーの専門書を読破し、
テレビで試合を見て研究し、暇さえあれば反町と作戦を考えるのが日常になっていた。
でもって。
どうやらそれが、彼に知れたらしい・・・。

「おい、若島津。あいつ最近おかしかねえか?」
「反町、ですか?」
日向に言われるまでもなく、若島津も気づいていた。
「ここんとこ、時々あいつが何気なしに言う作戦、出来過ぎだと思わねえか?」
「ですよね?まあ、結果オーライなんですけど。なんだって突然・・・。」
フィールドでミニゲームをする反町を、二人はベンチから思いっきり疑いの眼差しで見つめていた。
ゲームが終わり、早速反町は捕らえられた宇宙人がごとく捕獲されてしまった。
二人(というか、ほとんど日向が。)詰め寄ると、始末悪そうな顔で反町はボソボソと白状し始めた。
「いや、隠してたわけじゃないんですけどぉ・・・。日向さんが怒るかと思って。」
「何だよ。」
ぽりぽりと頭を掻きながら反町は言った。
「・・・ブレインがいるんですよ。」
「ブレイン?」
二人は思わず顔を見合わせる。
「今日金曜日だし、たぶん見てるんじゃないかな。」
反町が目をやった方向を追うと、校舎の3階の窓に顔が見えた。
「あ。」
若島津が言う。
日向はと言えば、見る見る間に顔が不機嫌になっていく。
あちゃー、やっぱりね、と反町が思っているうちに日向が吼えた。
「おい、てめえ!そんなとこで高見の見物してねえで降りてきたらどうだ?!」


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