「まっつーん☆健ちゃーん☆」
この合宿初めてのオフの日。
うきうき気分で松山と若島津の部屋に来たのは反町だった。
そう、松山のお目付け役には若島津。ちなみに日向のお目付け役は岬だ。もちろん三杉参謀の采配。
「れ?まっつんは?」
部屋には一人のんびりと座って雑誌を読んでいる若島津の姿。
「知らん。電話がかかってきてどっか出かけた。遅くなるかも、って言ってたけど。」
「ふうん。」
「で、何だよ。」
「あ、みんなでさあ、温泉行かねえ?って言ってたんだけど。」
若者なのになぜプールじゃない、と若島津は思った。
「・・・俺パス。」
「ええ?!なんだよ。行こうぜー。」
「ってか、なんで温泉?」
「日頃の疲れを癒すため。」
あとプールではケガの恐れがあるため、と、とって付けた様に反町が言う。
「・・・じじむさいな。」
若島津がそう言うと、反町はぶすーっと頬を膨らませた。
「俺は今日はのんびりすることに決めたんだ。」
「温泉だってのんびりじゃん。」
「とにかく俺は行かないから、楽しんでこい。キャプテンでも誘ってみたらどうだ?案外のるかもしれないぞ。」
「キャプテンは岬に無理やり掛川城へと拉致されました。」
「・・・・・・」
なぜに・・・ 岬?
そんなやりとりをしていると、反町の後ろから松山がやってきた。
「あれ?まっつん。お出かけじゃなかったの?」
「もう済んだ。」
松山は反町の横をすり抜け、部屋に入った。
「おかえり。早かったんだな。」
「ああ。」
若島津の言葉に、どこか元気のない様子で松山は簡潔に答えた。
「なあなあ、俺ら温泉入りに行くんだけどさあ、まっつんも行かない?健ちゃんは行かないって言うんだけど。」
「・・・悪い。俺もいいや。」
松山は自分のベッドに向かう。
「俺、眠いから昼寝する。」
そう言うと、松山はもそもそとベッドに潜りこみ、掛け布団を頭からかぶってしまった。
「・・・」
反町と若島津は顔を見合わせる。
クーラーはかかってるけど、昼間で眩しいかもしれないけど、それにしたって掛け布団頭っからかぶるか・・・?
「・・・えーっと、じゃあ、行ってくるねー・・・」
居心地悪そうに、反町は去っていった。
そんでもって、若島津も行けばよかったとちょっぴり後悔・・・。
「・・・」
若島津は松山のほうを見た。
昼寝する、と言ってはいたが、たぶん、いや絶対寝てない。
仕方なく雑誌を読み続けることにする。
それから。
若島津はジョギングしに出たり、三杉と片山の部屋に遊びに行ったらテーピングの練習台にされたりした。
そのうち温泉チームも戻ってきて、なぜか掛川城に行った岬と日向も戻ってきて、
そろそろ夕飯時という頃に若島津は一度自室に戻った。
夏で日が長いと言ってももう18時、部屋の中は薄暗くなっている。
中に入ると、松山はあの時のまま、壁に向かってうずくまって固まっていた。
「・・・」
若島津は近づくと、その背中に声をかけた。
「おい、起きてるか?」
返事は、ない。
「・・・そろそろ夕飯だぞ。」
「・・・いらねえ。」
なんだよ、起きてんじゃねーか、若島津はため息をついた。
「・・・具合悪い。」
「そうか。」
しばらく沈黙が続く。
「・・・何かあったのか?俺で良ければ聞くが。」
「なんもねえ。」
お前、確実に何かあっただろう?!と突っ込みたくもなるくらいの元気のない声だったが、若島津はそれ以上詮索しなかった。
反町だったらいつまでもかまい続けるところだろうが、あいにく若島津はそういうタイプの人間ではない。
話したくなければ聞かないでおこう。
そのまま黙って部屋を出た。
食堂はいつもより寂しかった。
何人かは出かけた先で食べてくるらしく、また休みの日くらい外食するぞー、と主婦のようなことを言って出かけていった奴もいる。
だから松山がいないことに、ほとんど誰も疑問を持っていなかった。
「健ちゃん、まっつんは?」
反町は若島津の隣の席に陣取り、耳打ちした。
「・・・寝てる。いや、たぶん眠ってはいないと思うが。具合悪いとか言ってたけど。まあ、そういうこっちゃないんだろうな。」
「・・・ふうん。」
「何か思い当たることあったか?」
反町はかっこんでいたご飯を飲み込み、一口お茶を飲むと若島津を見た。
「井沢がさあ、外に出たとき合宿所の門のところに立ってる人影に気づいて、気になって近づいてみたんだって。そしたら・・・」
少し間をあけ、さらに小さい声で言った。
「ふらののマネージャーの女の子だったって言うんだよ。」
「・・・ふらのの?北海道からわざわざ来たのか?」
さあ、と反町は肩をすくめる。
「井沢も声かけてみようかと思ったらしいんだけど、まあ自分も時間無かったし、
松山に会いに来たんだろうから邪魔するのもなんだろうと思ってやめたんだって。」
そこまで言うと、反町は再びお茶を飲んだ。
「だからさ、まっつんもしかしたら彼女と喧嘩しちゃったのかなーって。井沢とはそういう感じで話してたんだけど。」
「喧嘩とかいう落ちこみ方じゃなかったぞ。それにだいたい、松山が女の子と喧嘩できるとは思えない。」
「俺も同感。じゃあ、やっぱり・・・」
「・・・・・・」
二人は顔を見合わせてため息をついた。
「反町、誰にも言うなよ。」
「俺がいざって時には口堅いの知ってるっしょ?」
まあな、と若島津が言う。
そう、こう見えても反町はいざって時には口が堅いのだ。いざって時だけだがな、と若島津は心の中で笑う。
「じゃあ、井沢にも言っておくよ。」
「ああ、頼む。」
その夜、若島津がベッドに入ってしばらくすると、松山が起き出し部屋を出て行った。
若島津は寝たふりをしていた。
他人の色恋沙汰には干渉しまいと思っていたが、さすがにあの松山の珍しい落ち込みよう。
やはり気になって、ついついこそっと様子を見に出てしまった。
そこで幸か不幸か、風呂から戻ってきた反町とジョギングに出かけようとしていた日向に出くわした。
合宿所を出て少し歩くと小川がある。
そこには小さな橋が架かっていて、川沿いには桜が植わっている。
春になると美しい桜のトンネルになるそうだ。
松山はその橋の上にいた。
右手にはハチマキが握られている。
(藤沢・・・)
藤沢美子は中学3年の時から付き合い始めた彼女だった。
夏の大会が終わって、父親の仕事の都合で二学期からアメリカに行っていた。
だが高校入学時に帰国し、再び同じ学校に通うことになった。
うまく、いっていると思っていた。
確かにサッカーで忙しくて二人きりでいられる時間はたくさんあったとは言わない。
けど、部活に行けば彼女はいたし、帰りは大抵一緒だった。
「また二学期から、アメリカに戻ることになってしまったの。今度は本当に、何年かは日本に帰れないと思う・・・」
そう彼女は言った。
そしてその後、突然別れが告げられたのだ。
松山にはわからなかった。
どんなに遠く離れていても自分の気持ちは変わらない、なんでそんな急に別れるなんて・・・
「急にじゃないの・・・」
「・・・え・・・」
ますます松山にはわけがわからない。
「どういう、ことだよ・・・」
「・・・松山君、好きな人いるんでしょう?」
「え・・・?」
「松山君は私じゃない誰かのこと、いつも想ってた。だから・・・」
今まで本当にありがとう、サッカー頑張ってね、と言い、それ以上何も言わず、何も聞かず、彼女は去っていったのだった。
「わかんねえよ・・・藤沢・・・ 俺が誰のこと想ってるって・・・?」
目線を落とし、下を流れる小川を見た。流れは小さくゆったりとしていて、さらさらという音が耳に心地よい。
もう充分落ち込んだ。
考えた。
でも結局わからなかった。
最終的に辿りついた答えは、自分はフラれてしまい、彼女のことはもう忘れなければならない、という事実だけだった。
「・・・・・・」
松山はその右手をゆっくりと前に差し出す。
大事に、大事にしてきたハチマキ。何かあるときはいつも力を貸してくれた。
小さな刺繍の入った宝物。けれどもう、これを持っていてもつらいだけだ。
「松山?」
「っ・・・」
振り向くと、そこには日向の姿があった。
日向は足元にあったサッカーボールを蹴り上げキャッチすると、松山のほうに近づいた。
「何してんだ?」
「・・・何でもねえ。」
「・・・今、それ川に捨てようとしてなかったか?」
「てめえには関係ねえ。」
それが彼女からもらった物だと、全日本のメンバーなら誰もが知っていた。
そして大事な試合のとき、松山がお守りのようにつけていることも。
「大事な、物、なんだろ?」
「関係ねえって言ってんだろが。」
「・・・」
人が下手に出りゃいい気になりやがって・・・。
様子の違う松山に気を使っていた日向も、さすがに少々カチンとくる。
「お前な、」
日向が何か言おうとした瞬間、松山はハチマキを握っていたその手を開いた。
「っ・・・」
ひらひらと不規則な動きをし、松山の手から離れた白いハチマキは暗い小川へと吸い込まれていく。
「っかやろ!」
日向は思いっきり手を伸ばし、身体半分橋から乗り出して、間一髪ハチマキをキャッチした。
瞬間体勢が崩れ、日向の大きな身体がぐらり、と下に傾いた。
「危ねえ!!」
驚いた松山は日向の腰に手を回し、思いっきり後ろにひっぱった。
二人はもつれ合ってコンクリートに尻もちをついた。
「ばっかやろ!何してっ」
「そりゃあこっちの台詞だろうが!!」
「っ・・・」
日向のあまりの迫力に、松山は思わず言葉を失ってしまう。
「大切な物なんだろ。」
ぶっきらぼうに前に突き出された手には、ハチマキが握られている。
「心のこもったものを捨てるなんて最低だ。」
「・・・」
「たとえどんな理由があっても、だ。」
日向はその拳を松山の胸に押し当てた。
「・・・」
ためらいながらハチマキを受け取る。
そしてもう一度強く握り締めた。
日向は立ち上がり、パンパン、と汚れたジャージを手で払い、うつむいたままの松山の腕を掴むと立ち上がらせた。
「・・・おい。」
「・・・」
松山は口を一文字にして黙りこくっている。もしかしたら、と思っていたことがどうやら事実であることを日向は確信した。
居心地の悪い沈黙が続く・・・。
こんな時、なんて声をかけてやったらいいのだろう?
反町や片山だったら何かうまいことを言うだろうにな、と思う。
「別れた。」
「え」
「彼女と別れた。」
唐突に松山はそれだけ言うと、また口をつぐんでしまった。
日向は困った顔でぽりぽりと頭をかいた。
「・・・ま、そういうこともあるさ。」
「・・・るせぇ。」
「・・・」
日向はため息をついた。
しばらく困ったように目線を泳がせる。
と、突然、日向は左手を松山の肩に回し、自分の胸に引き寄せたのだった。
「!!」
「お前な、今、自分がどんな顔してるかわかってるか?」
「何、」
「この俺が胸貸してやろうって言ってんだ。ありがたく泣け。」
「・・・」
松山は唇を噛みしめ、ゆっくりと日向の胸に手を当てた。
そして・・・
「っざけんじゃねえ!!」
当然、思いっきり突き放した。
「てめえに慰めてもらうくらいなら、こっから飛び降りたほうが100万倍マシだ!」
「・・・」
日向はにやりと笑ってみせた。
「そんだけ元気なら大丈夫だな。」
「・・・っ///」
松山は自分の顔がどんどん紅潮していくのがわかった。
何故だか日向に顔を見られたくなくて、そっぽをむいた。
「さってと、俺はちょっくらジョギングに行ってくる。お前は?」
「・・・戻る。」
「その方がいいな。若島津が宿舎の玄関でうろうろしてたぞ。」
「え・・・」
「あいつは案外心配性なんだ。早く帰れ。」
「・・・」
(じゃあ、もしかして日向も・・・)
まるで偶然通りかかったような風だったがわかっていて・・・?
どういうつもりで自分の様子を見に来たのか・・・からかうつもりだったのか?
ガラにもなく本気で心配してくれたのか?いや、まさか日向がそんなわけ・・・。
あ、ハチマキとってくれたお礼言ってねえな。
でも俺は捨てるつもりで、別に頼んだわけじゃねえし。
そりゃ、結果的にはやっぱり良かったけど・・・。
けどあいつ川に落っこちそうになったの助けてやったから貸し借りなしか?
って!日向いねえじゃん!!!
「待てよ!!」
気が付くと、日向はドリブルしながら向こうの土手に向かって走っていった。
ぐぅるぐると考えを巡らせていた松山。
どうにもこうにも、このまま去るのはすっきりしない。
あわてて日向を追いかけた。
「やっぱ俺も行く。」
「・・・」
日向は振り返ると小さくため息をついて、しょうがねえな、と言った。
「お前携帯持ってるか?」
「あ?いや。置いてきた。」
日向はポケットの中から携帯を取り出す。
「・・・お前、携帯持ってんのか?」
「反町の。」
「・・・」
なんで?と聞く間もなく、日向は他人の携帯を慣れた手つきで操作し電話をかけた。 |