片山がロビーにある自販機に行こうと歩いていると、なぜか玄関で若島津がうろうろしていた。
「・・・何してんだ?」

「片山。」
若島津は何か、いかにも心配そうな顔で片山を見た。
「どうした?」
「あ、いや。」

「・・・松山どうかした?」
「ええ?!」
いきなり言い当てられて、普段は冷静な若島津も思わずボロを出してしまう。
「だって、こんな時間に誰か心配するんだったらまず同室の人間だろ?」
「そうか・・・」
「何だよ。言いづらいこと?」
片山が少しわざとらしく、若島津の顔を覗き込んだ。
若島津はこめかみの辺りを人差し指で掻きながら、うーん、と目線を天井の蛍光灯にやった。

「・・・いや、まあ、お前になら話してもいいか。むしろ、話しておくべきかもしれん。」

絶対誰にも言うなよ、と付け加えて、若島津はこれまでの松山の事と自分の推測を話した。

「・・・それで、偵察係を日向にしたのか?それは何か間違った人選じゃないか?」

少々呆れ顔で、片山は若島津に問いかける。

「いや、キャプテンにも話すつもりはなかったんだが、反町が問い詰められてさ、」
「・・・そら話すわな。日向対反町じゃ。」
片山は襟首を掴まれて問い詰められる反町を想像し、同情の笑みをこぼした。
「俺は放っておけって言ったんだが、キャプテンがいつの間にか飛び出しててな。」
反町から携帯取り上げて、と若島津は付け加える。

「まあ、それならいいんじゃない?任せておけば。心配なんだろ。」

「・・・そうだろうか。」

「なんだかなあ。仲がいいのか悪いのか。日向って、実は松山のこと好きなんじゃねえの?」
人の事ホモ呼ばわりしてやがるけどよ、と笑いながら言った。
当然片山は冗談のつもりで言ったわけだが、妙に真剣な顔で腕組みをする若島津が目に入る。

「え?・・・マジで?」

「いや、本人が言っているわけじゃないが。」

しばし間。

「というか、だな、」
と、若島津は続ける。

「俺が思うに、たぶん自覚してないんじゃないかと。」
「は?」
「だから、自覚、してないんじゃないかと思うんだ。」
「・・・」

(自覚してない、ねえ。)
自覚したところでその事実を受け入れる気があるんだろうか?あいつは・・・。と、片山は思う。
「自覚したらそれこそどうにかなりそうな気がするけど?」
「そこら辺が問題なんだ。」
片山はそんなキャプテンを心底心配してしまう若島津がちょっとかわいいと思う。
ついからかうように言ってしまった。

「お前が教えてあげればいいじゃん。」

「俺が?冗談言うな。」
顔を見合わせて苦笑い。と、若島津の携帯が鳴った。



ジョギングをしながら、松山は考えていた。
それはすでに落ち込みや後悔からではなく、彼女が自分に言わんとした事実を知りたいという単純な欲求からだった。

(俺が想っている人・・・?)

美子のことは好きだった。それだけは絶対に間違いない。
だけど、彼女がそう思うほど、俺は誰か別の人の事を考えたり、話したりしただろうか・・・

(サッカーの話はよくしたような気がするが・・・ 特に全日本の話とか。でも女の子の話なんかしたことねえと思うんだけどな。)
「・・・」
(翼や岬のこととか・・・ DF仲間のこととか、あとは・・・)

松山は前をドリブルしながら走る日向の背中を見た。

月明かりが日向を照らしていた。
大きな背中だ、と思う
いつもこいつは俺の前を走っていて、いつも俺はこいつを追いかけている。
追いつけそうで追いつけない大きな背中。翼でも岬でもなく、「追いかけている」のはやっぱりこいつの背中だ。
・・・ちょっとムカつくけど。なんとなく、あらためてそんな風に感じる。理由はよくわからない。
・・・いや、本当はわかっているのだろうか?
と、前方から自転車がきた。
当然日向はちゃんと避けたが、ぼんやり考え事をしながら走っていた松山はかなり近くまで来てその存在に気づいた。

「あ、」

自転車とすれ違った瞬間、松山は土手の舗装路を踏み外した。

「松山っ」

足がもつれて土手の坂を転げ落ちる。
手を伸ばして松山の腕を掴んだ日向も、結局一緒に転がり落ちてしまった。

「ってー・・・」

松山は起き上がった。

「おい、大丈夫か?!」

言われた日向も身体を起こす。
「ああ。」
「足は?ひねってないか?」
「そんなへまはしねえよ。」
松山はハーっとため息をついた。
全日本のエースストライカーにケガをさせたなんてことになったら大変だ。

「何ぼーっとしてたんだよ。」

いつもなら怒鳴るところだが、失恋した今日だけはとりあえず優しくしておこう、と日向は心に決めていた。
・・・いや、ちょっと、考え事。」
「・・・そか。」

日向は当然、別れた彼女のことだろうと思ったわけだが、実は松山は目の前にいる当の本人のことを考えていたわけで。

なんとなく沈黙。
土手の下では明かりなどない。
月明かりだけが二人を照らしていた。
辺り一面から虫の音が響いている。

「星、綺麗だな。富良野にいるみたいだ。」
松山はそう言うとごろん、と草の上に横になった。
その顔は、妙に穏やかである。
落ち込んでるんだか、すっきりしたんだか・・・なんだかなあ、と日向は松山を見た。

「・・・お前さ、」

「おい、日向、」

日向の言葉をさえぎって、松山が言った。
人の話聞け・・・と少々呆れるが、「今日だけは優しく」と律儀にもう一度思い返す。

「なんだ、」

「お前、体温高いだろ。」

松山が突然そんなことを言った。
くっつくかくっつかないかぐらいの距離。
なんだよそれ、と日向が言うと、目線は星空に向けたまま松山はいたずらな笑みを浮かべた。

(・・・松山?)
日向は月明かりに照らされた松山の顔を見つめた。
雪国出身らしい白い肌。
それでも夏の日差しに少し焼けたのだろうか。
アーモンド型の大きな瞳は少し吊り上り、黒目がちである。
なぜだか、とくん、とくん、と自分の心臓の音が耳元で聞こえたような気がした。

(・・・こいつ、こんなにかわいかったっけ・・・?)

「っ!!」

と、思った途端、日向は自分が松山に対して「かわいい」などという形容詞を使ってしまったことに驚く。
(いや、違う、かわいいというのはそういう意味でなくて。なんていうか、キレイというか・・・
 ぬがーーー!!!それもちがーう!!)

「なあ、日向、」

「え?!」

心の中で一人ツッコミを繰り返していた日向は、いきなりの松山の呼びかけに少々突飛な声で返事をしてしまった。
が、松山は相変わらず空を見上げたまま、目線を変えずに続けた。

「お前さあ、好きな奴っている?」

「・・・っ」

その問いかけに、日向の鼓動は早さを増す。

(なんでだ。なんでこんなにドキドキする必要があるんだ・・・)

「・・・なんだよ、急に。」
「なんとなく。」
「・・・」

人の気も知らねえで、突然妙な事言うんじゃねえ!!日向は松山をどつきたい気分でいっぱいになる。

「俺、」

そんな日向にはまるで気づかない松山はそのまま言葉を続けた。

「今日別れた彼女に言われたんだ。他に好きな人がいるんでしょうって。」

(え?)

他に、というのは、当然その彼女以外にってことだよな・・・?日向は少しして松山に尋ねた。

「・・・いるのか?」
松山は、うーん、とだけ言うと身体を起こした。
「そろそろ戻ろうぜ、日向。」
そう言うと松山は転がったボールを拾い上げ、さっさと土手を駆け上がっている。
(なんだよ!いるのかよ!いねえのかよ!!)
いつもなら声に出しているところが、なぜかその言葉は飲み込まれていた。
そして飲み込まれた言葉が針になって刺したかのように、ちくん、と胸が痛んだ。
(・・・・)

日向もすぐに駆け出した。
舗装路に戻り、ドリブルを始める松山の背中を追う。
と、松山はぴたっと足を止め、後ろを振り返った。

「日向。」

松山がボールをぽん、と蹴った。
日向はトラップし、ドリブルで駆け出すとすぐに松山を追い抜いていった。
松山は、またその大きな背中を追いかける・・・。


月明かりの美しい夜の出来事だった。



翌日、松山は食堂でもりもりと朝食を食べていた。
昨日の夕食を抜いたせいで、よっぽど腹がすいていたらしい。

「で?」

「さあ。あれからお前の携帯を使った松山から電話がかかってきて、キャプテンとジョギングするからって言われただけ。
朝起きたらちゃんとベッドに寝ていた。」
反町と若島津の間で交わされる会話。
そして二人は沈黙のまま目を合わす。

「キャプテンが何を言ってくれたのか知らんが、とにかく復活したようで良かった。」
若島津がいくら他人の色恋沙汰に口は出さない性格と言っても、
失意のどん底にいるような松山と同じ部屋にいるのはつらいことこの上ない。
とりあえず日向に感謝。

「何があったんだろーねー。昨日の晩は。」

一方反町は少々不機嫌そうにぐるぐると納豆をかきまわした。

「なんだ?」

「べっつにー。」

いかにも一言、言いたそうな反町。



あいかわらず日向と松山はうるさかった。
今日もいつもどおりの二人の姿。

「てめえ、どこ蹴ってんだよ!」

「それくらいちゃんと受けやがれ!」

「ああ?!」

「この下手くそ!」

「なんだと日向ぁ!!」
ああ、また始まった・・・三杉がそんな表情で立ち上がる。
そして怒鳴る。


そんな日々が続き一週間。
夜になって片山のもとに大地からのメール。

――――― 明日会いに行ってもいい?

明日はオフ。前もってオフの日は言ってあった。
片山は当然浮かれて、すぐに愛する恋人の声を聞きたくなる。
三杉も大地のことはよく知っているが、さすがに会話を聞かれるのは恥ずかしくて片山は部屋を出た。
合宿所の外にあるベンチに腰掛け電話をかける。
数回のコールの後、電話が繋がった。
「もっしもーし。」
大地ではない、でも完全に聞き覚えのある声。
「・・・孝平・・・」
思わずため息混じりの片山の声。
「元気してるー?左京ちゃん☆」
「大地は?」
「何や、冷たいのう。」
「はいはい、元気ですよ。で、大地は?」
孝平は笑っている。
「今パソコンに向かって何やらやっとる。手え離せへんからちょっとだけ待って欲しいねんて。どや?そっちは?」
「楽しいよ。覚えること多くて大変だけど。」
「そら良かったな。」
「孝平、実家帰らないのか?」
「ああ、そのうち帰るわ。」
「適当だな。」
「おお、ちょー待ちや。」
電話の向こう側で声がする。どうやらようやく大地とかわるらしい。
「ごめん。片山。」
「明日来るって?」
「うん。どうかな?」
「大丈夫。一日きっちり空けておくよ。」
片山にとってはありがたいことに、明日は三杉が通院のため東京へ戻ることになっていた。
「じゃあ、朝一で出るね。」
「うん。駅まで迎えに行くから。」
知らず知らずのうちに頬の筋肉がすっかり緩んでいる自分に気付く。
電話を切ると、ふいに背後に人の気配を感じた。
振り返るとそこにはサッカーボールを持った松山がいた。
「・・・よお。」
にやけていたであろう顔を慌てて直し、片山は松山を見た。
「誰か来んのか?」
「え?」
「電話で。」
「ああ。何だよ。聞いてたのか?」
「聞こえちまったんだから仕方ないだろ。」
そう言うと松山は持っていたボールでリフティングを始めた。
「付き合ってる子が来るんだ。」
「・・・」
松山が動きを止める。そして、へえ、と言う。
片山は一週間前に松山が彼女と別れたらしかったことを思い出し、思わず口を押さえた。
が、松山自身はそんなこと気付かない風で言った。
「そっか。そうだよな。片山彼女いそうな感じするもんなあ。」
彼女じゃないけどね、と心の中で片山は呟く。
「松山は今から練習すんのか?」
「いや、気晴らし。」
「サッカーの合宿の気晴らしにサッカーすんのかよ。」
片山が笑いながら言うと松山もつられて笑った。
「そうだな。おかしいよな。俺ってサッカーばかだからさ。」
あいかわらず子供のような笑顔でそう言う。
「・・・なあ、」
何か思い出したように松山はリフティングをやめ、片山の隣に腰を降ろした。
「東邦の高等部通ってる奴は、みんなそのまま大学行くのか?」
「?ああ。全員ってわけじゃないけど。一応試験もあるし。」
「試験?」
「判定試験があって、それに合格しないといけない。まあ、相当でなきゃ、大概受かるけど。
あと学部とかにもよるかな。医学部とか、法学部とかだとそれなりに難しいんだ。」
ふうん、と松山は言い、逡巡している。
「・・・日向は大丈夫だよ。あいつはサッカー特待生だから、大学まで無条件でいける。」
「ああ、そっか。」
松山はあっさり納得して答えた。
で、約
3秒後、
「あ!!いや!!別に日向のことを気にしたんじゃなくってっ・・・」
「あんのバカは試験受からねえんじゃねえの?って思ってるのかと思ったんだけど。違った?」
「違う違う!!」
片山がからかうように言うと、松山は首が取れるんじゃないかっていうほどブンブンと横に振った。
「ってか何で俺が日向のバカのことなんか気にしなくちゃなんねえんだよ!」
「俺に聞くなよ。」
「〜〜〜・・・」
むむむーーーと松山は口をへの字にする。
面白がっていた片山だが、なんだかあんまり松山が必死なのでそろそろやめておくことにした。
「松山は?高校卒業したらどうすんの?Jリーグとかいくの?」
「・・・まだ考えてない。」
そう言うと松山は立ち上がった。
「ちょっと付き合えよ。」
「え?」
「お前サッカーうまいんだろ?東邦の奴らが言ってたぜ。一人より相手がいた方がいいからさ。」
返事も聞かずに、松山はグラウンドに向かって走り出していた。
まあ、たまには身体動かさないとか、と思い、片山は松山のあとを追った。


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