翌日。
若島津は自分は休日でも早起きな方だと思っていたが、隣のベッドはすでに空だった。
時計を見るとまだ朝の7時。
普段ならもちろん起きている時間だが、オフの今日はきっと自分と彼以外は起きていない。
「・・・」
若島津はベッドから降りると、カーテンを開けた。
遠くのグラウンドに人影が二つ見える。
前言撤回。
もう一人起きていた。

(休みの朝から元気なもんだな・・・。)
ぼりぼりと頭をかき、備え付けのミニキッチンへ向かった。
朝、朝練の前から、日向と松山が早朝練習をしていることはみんな知っていた。
朝練の時にはすでに二人だけ汗びっしょりなのだ。
いつから始まったかは知らないが、二人の性格からして示し合わせて早朝練習をしているわけではないだろう。
もともと以前から松山は早朝練習とか自主トレとかする奴だったし、
日向も暇さえあれば一人でジョギングに出かけていた。
ある日たまたま二人の早朝練習が重なって、なんとなく今でも毎日続けている、といった具合だろうか?
あるいは負けず嫌いの二人のこと、「てめー昨日は起きれなかったんだろ。根性ねえな。」とか言われたくなくて、
それでお互いひっこみがつかなくなって毎日続いてしまっているのかもしれない。

(すごくありえる話だが、休みの日までがんばらなくてもいいのにな。)

ま、それでこそ我が全日本のキャプテン、副キャプテンだけど、と若島津は苦笑いする。

15分ほど経って、淹れたてのコーヒーを飲んでいると松山が戻ってきた。

「・・・なんだ、早いな。」

「そりゃこっちの台詞だろう。」
そうか、と笑って松山は言った。
松山はよく寝る。子供並みによく寝る。寝坊はしないが寝起きは相当悪かったはずだ。
それがよくもまあ、早朝練習が毎日続くもんだ。
日常になったせいか、最近は夜は早く寝てしまうことが多い気がする。
「コーヒー残ってるから、飲んでいいぞ。」
「ああ、うん。もらう。」
松山はキッチンに向かう。
そして若島津が松山用にと三杉からもらった砂糖とミルクをひとつずつ入れ、スプーンでぐるぐるとかき混ぜた。
若島津はそのカチャカチャという音を聞きながら、松山に向かって話しかけた。

「あーっと、松山、」

「うん?」
少々迷いながら、若島津は言葉を続ける。
「俺はお前のプライベートのことをどうこう言うつもりはないんだが、」

「なんだよ?」

突然、若島津が らしくないことを言い出したので、
松山は少し笑いながらカップを手にして戻ってくると自分のベッドに座った。

「いや、先週、お前随分落ち込んでいたけどさ」

「ああ、彼女と別れたから。」

「・・・」

(えーとぉ・・・)

理由を聞こうと思ったわけではない。
ただ嫌味にならない程度に、ほんのちょっともう大丈夫か聞くくらいのつもりだったのに。
「・・・随分とあっさりだな。」
何か少し考えるような素振りを見せて、松山は一口コーヒーを飲んだ。
「落ち込んでないわけじゃないし、未練がないわけじゃない。好きだったから。」
「・・・」

松山が自分の恋愛話をするなんてちょっと貴重かもしれない、と若島津は思う。

「でも、なんか俺、背中を押してもらったような気がするんだ。」

「・・・背中を押してもらった?」

松山は頷いた。
「俺自身が気づいていない何かにあいつは気づいていて、それで背中を押してくれたんじゃないかって。
なんかうまく言えないんだけど・・・。」
「ふうん。」
その先にあるのは日向さんだろうか?

「いい子なんだな。彼女。」

「俺って、都合よく考えすぎかな?」
真剣な目でそう言う松山に、若島津は微笑んで言った。
お前がそう感じるなら、きっとそうなんだろ。」

と、ガチャリと音がして、突然ノックもなしに扉が開いた。
「お、なんだ、若島津も起きてんのか。」

いつもの調子でずかずかと部屋に入ってきたのは日向だった。
「起きてなかったらどうしたんです?」

若島津がいかにも答えを期待するような聞き方をする。
「そりゃあお前、顔にマジックで・・・」
ぎゃはははは、と松山が大笑いする。
「やっぱ瞼に目描かないとだろ。」

松山が悪ノリする。あと額に肉な、と日向が付け加え、二人は若島津をダシに勝手に盛り上がっている。
ケンカも派手だが、気の合った時の二人の盛り上がり方もうるさいったらない。
まあ、大抵の場合は結局はケンカに発展するわけだが。
「肉でもなんでもいいですけどね、日向さん。
俺と松山の部屋だからってノックもなしに入ってくるのやめて下さいよ。非常識ですよ。」
「そうだぞ、日向。若島津、いいこと言った!」

ここぞとばかりに松山も加勢する。

「・・・若島津に言われても仕方ないが、
しょっちゅう岬に会いにずかずか人の部屋に入ってくるお前に言われる覚えはないぞ、松山。」
「俺はいいんだよ!岬だから!!」
「意味がわからん。ジャイアンか、お前は。」
「ああ?!ジャイアンはてめーだろが!!」
結局いつもの言い合いになる。ジャイアンかジャイアンでないかについて、真剣に喧嘩してどうするんだろう・・・?
若島津は呆れ顔で言った。
「あのねえ、こんな朝っぱらから痴話喧嘩はやめてもらえますー?激迷惑っす。」
「痴話喧嘩ってなんだよ!!」
むきーっ、と松山が騒ぐが、若島津は冷静沈着にそのまま続けた。
「で?今日はオフだから、キャプテンは朝っぱらから松山とお出かけでもするつもりなんですか?
はいはい。さっさと松山は着替えて、温泉でもプールでもお城でも行ってきてくださいな。」
「なんで俺が日向なんかとっ」

当然若島津はからかうつもりで言い、松山は条件反射で答えたわけである。
だが意外な反応を見せたのは日向。
なぜかものすごぅく余裕の表情。
ふーん、と言うと、胸ポケットからド●えもんがごとく、パパパパッパパ〜ン♪と何かを出した。

「これを見てもそう言うか?」
「・・・何?」
松山が近づいて見るとそれは・・・

「これが目に入らぬか。」
「うお!!」
Jリーグの試合、しかもジュビロ対エスパルスの静岡ダービーのチケット二枚。ご当地ネタで。(笑)
「行かなくてもいいのか?」
松山は首をぶんぶんと横に振ると、ちょっと待ってろ!とあわてて着替えをはじめた。
へっへっへ、勝った、と満足そうにしている日向に、思う様疑いの目で若島津は話しかける。

「・・・なんのつもりなんです?キャプテン。」
「や、三杉にもらったんだ。」
「は?」
日向はチケットをひらひらとさせながら言った。
「片山と一緒に行くつもりだったんだけど、病院の日だったことをすっかり忘れていた上、
片山は恋人が会いにきてくれるとかで浮かれまくっているから松山と行ってきたまえ。ってよ。」
「・・・」
そもそも、三杉が病院の日を忘れるはずがない。
一体どういうつもりなのだろう・・・。
だいたい「松山と」と指定する辺りがすごく怪しい。
若島津は三杉の不敵な笑みを思い浮かべて、なんだか背中の辺りがゾクっとする。
「キャプテン、副キャプテンとして、あとでしっかり観戦報告するようにって言われてるけどな。」
「はあ。さいですか。」
なんでこの人は欠片も気づかないんだろう・・・。オメデタすぎる・・・。
・・・ま、それは置いておいて。
やっぱりこれは三杉の何かしらの陰謀だろうか?少しは仲良くしろってことか?
それとも三杉から自覚ナッシングなキャプテンへのちょっとしたプレゼントとかなんだろうか?
何にしてもやはりコワイ。

そのうち松山は支度を終え、やる気まんまんの笑顔で言った。

「よっし。行くぞ!!」
「おう。」
なにやら楽しげな二人に、少々呆れ顔で若島津は声をかける。
「ちょっと、お二人さん。何時からなんです?それ。」
うん?と日向はチケットを見た。
「10時。」
「・・・今まだ8時前ですよ。ここからバスで30分もかかりませんよ。」
二人は顔を見合す。
「俺腹減った。朝飯どっかで食って行こうぜ。日向。」
「ああ。」
「じゃあな、若島津。」

松山は手を上げた。若島津もいってらっしゃい、と笑顔で見送る。
二人は「朝マックだ!」「そんな不健康なもん朝から食えるか!!」と騒ぎながら出て行った。

「お、なんだ?お前ら。」
玄関ロビーでたまたま出くわしたのは片山だった。
「デート?」
松山をからかうのが日常とばかりに、にやにや笑いながら言う片山に、
「ふざけんな!!」とステレオで返事が返ってくる。
「試合見に行くんだよ。Jリーグの。お前と三杉が譲ってくれた、」
「・・・ああ。」
いかにもわざとらしくポンと手を打って、片山は答えた。


少々遡ること昨日の晩。
三杉が大変不敵な笑みを浮かべながら、片山の目の前に差し出した。

「何?Jリーグ?」
「そう。エコパ。」
「三杉明日病院じゃなかったか?」

「ああ。そして君は遥とデートだろ?」

「そうだけど。」

「プレゼントしようと思うんだ。彼らに。」

「彼らって誰よ?」

三杉は持っていたチケットをすっと胸ポケットにしまう。

「我が全日本のキャプテンと副キャプテンさ。」

「・・・」
片山はあからさまに「はあ?」という表情を見せた。
「ほら、少しは仲良くしてもらわないと。」
もしかしてとは思うが、三杉も若島津の言う「自覚なしのキャプテン」に気づいているんだろうか?
「三杉もやっぱりそう思ってるの?」
「?何がだい?」
違うんかい・・・。危うく地雷を踏むところだったと片山は胸を撫で下ろす。

「・・・いや、何でも。」

「?でさ。僕が二人のためにわざわざチケット取ったなんていうのも微妙だろ?
だから、僕と片山で行くことになってたけど、行けなくなったってことにしておいてくれるかい?」

「・・・いいけど。別に。」

「彼らが二人きりで出かけるなんてねえ。何も起こらなければいいけどねえ。」

くっくっく、と喉の奥で笑う三杉。そしてようやく片山は気づいた。
三杉は二人に仲良くなって欲しいわけでも、「自覚なしのキャプテン」に気づいてるわけでもなんでもない。
ただ単にあのトム&ジェリーを面白がっているだけなのだ。
つまり、「何も起こらなければいいけど、何か起こったら楽しいのにねえ。」と言いたいわけ。
わざわざJリーグの試合のチケットまで購入して。

(金持ちの道楽遊びかい・・・。)


「ま、楽しんできて。俺は正真正銘のデートだけど。」
三杉のよくわからない趣味(?)に振り回されていると気づかない二人が少々気の毒のような気もするが・・・。
まあ、無料でJリーグ見れるんだからプラマイゼロか。
結果的に良いほうに転ぶといいなあ、と願いながら片山は去って行った。


「そう言えば、片山の付き合ってる子ってどんな子なんだろうな?」
バスの中で、財布の小銭を確認しながら松山がつぶやいた。
夏休みで通勤時間も過ぎているからすいているだろうと踏んでいたが、
どうやら目的地が同じらしい小学生と一緒になった。
なんだか遠足のバスに乗り込んだみたいな気がする・・・。(保護者?)
図体のでかい二人は小学生達に紛れ、一番後ろの席を陣取って座っていた。
「何でだよ?」

窓の外を眺めていた日向が、横目で見遣る。
「なんか、その子のことすっげー好きっていう感じがするから。どんな子なのかなって思って。」

日向はふーん、と目線を上にした。

「俺も同じ学校だから、たぶん会ったことはあると思うんだが。いまいち顔と名前が一致してねえんだよなあ。」
ん?同じ学校?東邦って男子校じゃなかったっけ?年上の大学生?
松山は思ったが、日向の話は別のことに移っていたので何となくそのまま流した。

「すっげー!!今の見たかよ。やっぱプロは違うよな!!」
観客は超満員。おおはしゃぎする松山。
「うわっ。すげーチャージだな。今の絶対反則だろっ。なあ、日向。」
「そうか?」

気がつくと日向はノートを開き、何やら細々と書き込んでいる。
「お前さっきから何してんだ?」

「いや、三杉に観戦報告するように言われてるから。」
「・・・ふうん。」
松山はノートを覗き込む。見かけによらず几帳面な字で埋め尽くされていた。
「えらいな、日向。」
にいっ、と屈託ない笑顔を見せる。

(っ・・・
///

まずい・・・。と日向は思う。
不覚にも、また「かわいい。」などとと思ってしまった・・・。
違うんだ、これは・・・、と頭の中で必死に言い訳を考えてみるが思いつかない。

「て、てめーもちったー書きやがれ!」
なんだか悔しくて、松山にあたってみたりして。
「え?やだよ。俺字ぃ汚ねえし。」

「・・・」

確かに。
松山は持ち物にでっかく名前を書く癖があるらしく、
ボールとかタオルとか、色んなところで「松山光」と小学生のような字を見かける。
日向はあきらめたようにため息をつくと、再びノートに目線を落とした。

「俺が横で実況してやっからさ。」
そう言った松山であるが、あいかわらず興奮した様子で
「日向!今の見た?すげーよな!!」と個人的な感想を述べるだけだった。

(それにしても・・・)

日向は、仕方なくこれまで通りに試合を見ながらノートをつける。

(こんなに何度も普通に名前呼ばれるのも珍しい。)

大抵名前の前に「バカ」とか「アホ」とかつけやがるし。
「日向 日向!!今のお前ならぜってー決めたよな!!」
名前を呼ばれる度にむず痒いような、それでいて心地いいような。
思わず笑みがこぼれていた。
「なーににやけてんだよ。」
「なんでもねえよ。」
変な奴、と松山はつぶやいた。



試合が終了し、大勢の観客にもまれるように外に出る。
すでに昼になり強い日差しが照りつけていた。
二人はスタジアムを背に歩いていく。
「あーーー!!なんかボール蹴りてえな!!」
嬉しそうな顔で、松山が空に向かって叫んだ。
「なあ、日向。歩いて帰らねえ?どっかで昼飯食ってさ。」
「構わねえけど。お前途中でへばるなよ。」
暑さに弱いくせに、と言うと、松山は怒るでもなく「だいじょーぶっ」とピースしてみせた。
いつになく上機嫌の松山に日向も思わずつられて頬が緩む。
実際バスで20分の距離。歩いても一時間程度といったところだろうか。
「ところでお前、帰り道わかってんのか?」
日向が前を歩く松山の背中に向かって言った。
「わかんねえ。まあ、あっちの方に向かって行けば着くんじゃね?」
そう言って、なんとなく「あっち」の方角を指差す。
その言葉もなんだか楽しげだ。
「いいじゃん、迷ったら迷ったで。」
「お前なあ・・・。」
どうにかなるさ、とまるで迷うことを少し期待してるような言い草。
(ま、それも面白いかもな。)
日向は松山に知られないように小さく笑うと、松山を追いかけた



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