JR線の駅の構内は帰宅ラッシュの時間で混雑していた。
しかし混雑しているとはいえ、東京のそれとは比べ物にはならない程度。
電車の時刻まではまだ少し余裕があって、二人は並んでホームのベンチに座っていた。
「改札までで良かったのに。」
そう言いながらも反町は当然嬉しく思っていた。
もちろん松山とはそれなりの友情を築けているとは思っていたが、
こんなにもあからさまに大事にしてもらえると、掛け値なしに喜びたくなるというものだ。
「いいんだ。」
「まっつん、いい人だね。」
「何だよそれ。」
なんか普段がそうでもねえみたいじゃん、と松山は冗談っぽく言った。
ああ、こんな時間が永遠に続けばいいのに…
反町はふいにそんな事を考えて、時計と電車の到着時刻を見比べた。
「…なあ。」
「うん?」
「まっつん、うち受けるの?」
「…え?」
「進路志望。そう書いてたじゃん。」
「…」
バツが悪そうに、松山は目線を逸らす。
そんな嫌そうにしなくたっていいのに、と反町は思うが、まあ、気持ちはわからなくはない。
東邦学園を受験する=敵に寝返る、みたいな。
言い方はだいぶ悪いが、極端に言ったら、たぶん、そんな感じなんだろう。
「Jリーグって、書くわけにはいかなかったから。」
ぼそぼそと松山が言った。
「…なるほどね。」
「他に思いつかなかったんだ。」
「うん。」
「だからって、まだ、受けるかわかんねーし、受けたって受かるかわかんねーし。」
「わかってるよ。」
思いつくだけの言い訳をして、松山は黙りこんだ。
それにしても受けるかわからないのは置いといたとして、受けたら120%受かるだろうと反町は思う。
だって、小泉さんが自ら飛び込んできた大物=松山を逃すはずがないから。
だが今それを松山に言ったところでどうだという話だ。
これ以上、この話題を掘り下げたところで松山を追い詰めるだけだろうと思い、反町は話題を変えようとした。
「えっと」
「反町は、どうするんだ?」
「え?」
「進路。」
しかし意外にも松山から同じ話題の質問をされてしまった。
「そのまま大学に進むのか?」
「…まあ、そうだね。俺はキャンパスライフってやつを楽しみたいからさ。」
反町は包み隠さず、思っているままに返事をした。
「きゃんぱす、らいふ?」
「試験は一応あるけど、普通に受験するよりは全然楽に行けるからね。うちは。
東邦って、結構レベル高いから。もったいないし。」
「…ふうん」
「一度きりの人生、サッカーだけじゃつまんないじゃん。
大学生活も、まあ、それなりに勉強も?思いっきりやって。それからJリーグでもいいかなって。」
考え甘いかな?と、反町は笑ってそう言う。
「でも俺、4年間大学通ったって絶対にJリーグいける自信あるからさ。」
「うん。」
「それに、うちの大学のサッカー部って実は設備めちゃめちゃ整ってるんだ。
指導者もレベル高いしね。Jリーグにだって負けないくらいなんだぜ?」
Jリーグどころか代表にも呼ばれる自信あるからね、と付け加えて、ニヤっと笑って見せた。
「お前らしいな。」
松山は小さく笑って言った。
「あ、バカにしてるな。」
「してねえよ。本当に。反町らしくて、前向きでいいと思う。」
自分は前向きになれないと言わんばかりの言葉。
珍しく少し弱気な彼に、何か余計なことを言ってしまった様な悪い気がした。
「本当は」
「え?」
「かなり迷ってるんだ。」
どういう心境の変化か、松山は突然話し始めた。
「…何が?」
「Jリーグに挑戦したい気持ちもあるし、海外とか行って修行したい気持ちもある。」
「…」
松山から『海外』という単語を聞かされてドキっとする。
これだけサッカー一筋の松山のこと。
海外を視野に入れているのは当然のことだが…
「でも親には大学行けって言われてて… 俺んち親父、公務員だからさ。そういうこと、結構うるさくって。」
「そうなんだ。知らなかった。」
「俺、ずっと自分の思う通りに自由にやらせてもらってきたんだ。
だから、ちゃんと… うまく言えねえけど、ちゃんとしてから、先に進みたいってゆーか」
そこまで言って、松山は口ごもった。
「わかるよ。」
反町は微笑み、今度は反町が松山の背中を二回トントンと叩いた。
「そういうことって、大事なんじゃないの?」
「…そう、かな。」
「焦らなくったて時間はたくさんあるんだ。遠回りも悪くないかもよ?
サッカーだけじゃ得られないものだってあるんだぜ?って、俺、超偉そう…」
「…反町」
「まあ、とにかく、俺個人としてはさ。
まっつんと一緒にサッカー出来るのは嬉しい。それだけはハッキリしてるな。」
一緒に大学リーグの伝説を作ろうぜ!と親指を立てて見せる。
松山の頬が、ようやく緩んだ。
ホームに次の電車の到着を知らせる音楽が鳴り響いた。
反町は立ち上がり「俺は心から大歓迎で待ってるよv」と笑って言う。
「サンキュ。お前に話せて良かったよ。」
「そりゃ良かった。」
「あ。でも他の奴らには絶対絶対内緒だからな。まだ決めたわけじゃねえし。」
「はいはい。言われなくても。」
電車が轟音を立てながらホームに入ってきた。
やがて扉が開き、何人かが降りてくる。
それを待ってから、反町は電車に乗り込んだ。
「色々ありがとね。まっつん。」
「いや。なんか、むしろ何も出来なくてゴメン。」
「そんなことない。すっげー楽しかった。」
松山は微笑み、手を差し出した。
二人は握手を交わす。
「元気でな。次はええと」
「選手権大会。まっつん、間違っても地区大会で敗退とかナシだかんね。」
「そっちこそ。」
「あ。」
「え?」
発車のベルが鳴る。
アナウンスが白線の後ろに下がるよう注意を促す。
松山は手を離し、慌てて足を後ろにひいた。
「日向さんに」
「?」
「ちゃんと返事しなよ。」
「……え?!!」
「じゃあね!」
シューという空気音と共に扉は閉まった。
窓の向こうにはぽかんと口を開いたままのマヌケ顔松山。
思わず噴き出しながら、反町は手を振った。
(バイバイ。松山。)
電車はゆっくりと走り出しす。
反町の、想い出に変わりゆく恋心を乗せて。
淋しくて切なくて、でも、なぜだか妙に晴れ晴れとした、変な気持ち。
(松山が東邦きたら、またえらいことになりそうだな。)
色々な意味で…と苦笑いする。
窓に映る自分の顔を見て、がんばれ俺!!と自分自身に声援を送る反町だった。
反町が寮に着いたのはすっかり暗くなった夜中。
そーっと扉を開くと、そこには片山と、なぜか若島津が向かい合わせで座っていた。
「…何してんだ?」
「お。おかえり。」
片山の上げた右手にはグラス。
「反町、元気出せよ会。」
「…勝手に決め付けんな。」
「え?!!まさか成功したのか?!!」
「あのな。」
「じゃあ反町おめでとう会に切り替えなきゃ。な。若島津。」
若島津は「うむ」と頷いて、持っているグラスを掲げた。
「反町、おめでとー。かんぱーい」
チンっ といい音を鳴らして、二人はグラスの酒を呷る。
「すると同時に日向元気出せよ会も開かなくちゃなんねーな。」
と片山が言ったところで
「黙れ。酔っ払い。」
ゴチン、と反町に一発食らわされた。
「ははは。冗談冗談。」
「ったくさー。人を酒の肴にして盛り上がるんじゃねえっつの。」
ため息をついて、反町は荷物を下ろした。
そしてどこからともなく、しっかりマイグラスを持ってきて、二人の間に座り込む。
「で?どうだったのよ。愛の逃避行は」
反町のグラスに日本酒をなみなみと注ぎながら片山が尋ねた。
「誰が逃げたんだ誰が。」
「傷心旅行IN北海道?」
「だから勝手に決め付けんなっつーの。」
反町は呆れ顔で駆け付け一杯を飲み干した。
「言えなかったんだろ。」
「…言わなかったんだよ。」
「ほう」
片山は若島津の顔を見た。
ふざけ過ぎの片山を、勝手にやってくれとばかりに参戦してこなかった若島津もようやく口を開く。
「まあ、お前がそれでいいんなら、いいんじゃないのか?」
「うん。いいんだ。」
やけにハッキリそう答え、反町は空いたグラスに酒を注いだ。
「逃げたって、男らしくないって思われたって、俺はやっぱり、これが一番いいと思うから。」
「諦めるのか?」
「キッパリ。」
「むしろ男らしい。」
「男反町、高校卒業までに超かわいい彼女を作ることを誓います!!」
よしゃーーーっっ と、なぜか盛り上がる三人。
「いい。いいぞ、反町。それでこそ男だ!!いや、漢だ!!」
あ、この場合のオトコは『漢』で、漢字の漢って字を書くんだ…と酔っ払い片山は説明を加える。
「では反町元気出せよ会改め、反町男会だ!!」
「いや、片山、意味わからんから。」
「男会!!かんぱーい!!」
珍しくすっかり出来上がった片山に付き合わされる反町と若島津。
わははは、と豪快に笑うが、それでも時間を考えてちゃんと小声なのが彼らしい。
「これでも心配しまくってたんだぞ。片山。」
反町の耳元で、若島津が言った。
「え?」
「心配し過ぎて、飲みすぎちゃったんだなあ。」
「…」
一人盛り上がるルームメイトに、心の中で「ありがとう」と感謝する反町だった。