短い期間のトレーニングキャンプは内容も濃く、体力的にはつらいが充実した日々だった。
翌日は午前中の軽めのメニューだけで、午後は帰るだけという3日目の夜。
大浴場から戻ってきた松山はドアを開けたところで新田と佐野とはち合わせた。
「あ、松山さんおかえりなさーい。」
いつもの笑顔で新田が言う。
「おう。お前ら今から風呂?」
「はい。いってきまっす。」
後ろにいた佐野も軽く頭を下げながら「いってきます」と言い、二人は部屋を後にした。
中に入るともちろん日向一人。
「……」
(今しかない。)
心の中で覚悟を決める。
タオルを部屋の隅に置いてあるタオル掛けにかけ、風呂に持っていった物を片付けた。
日向に目をやると、一人机に向かって何かしている。
松山は一度深呼吸をし、日向に近づいた。
「…何、してんだ?」
「あ?ああ。今日の紅白試合の反省」
「お前、意外とマメだな。」
「三杉がうるせーんだよ。日向は失敗を振り返らないところがダメなんだとか何とか。」
「ぶっ…」
「…笑うな。」
「いや、ホント、そのとーりだと思って… ぶくくく…」
「だから笑うんじゃねえ!!ったくよー。勝ったのになんでこんなもん…」
ブツブツ言って日向はシャーペンを転がすと、うーーーん と伸びをした。
「…日向」
「ん?」
松山は空いている隣の椅子に横向きに腰かける。
そして日向の顔を真っ直ぐに見た。
「…何だよ」
「あの、な」
「?」
「…あん時の、返事。今しても、いいか?」
「…あん時って…」
まさか、と思う反面、もちろん予測はついていた。
『あの時』とは、たぶん、あの時のことなのだろう。
日向はじっと松山の言葉を待った。
「俺のこと、好きって、言っただろ。」
「……」
目線を逸らさずに、松山は言った。
大きく黒目がちな目が僅かに揺れる。
日向は少し目を泳がせ、ふう、とため息をついて言った。
「覚えてたのか。」
「うん。」
「お前、酒飲んでたから」
「うん。正直聞かなかったことにしちまおーかと思ってた。ごめん。」
思いのほか淡々とそう答える松山を前に日向は一度俯き、
それから顔を上げると松山の方に身体を向けて座り直す。
背筋は試合直前のようにピンと伸ばされ、やけに改まった面持ちで松山を見ている。
松山もつられて背筋を伸ばした。
「えっと… 」
「…」
「ごめん。」
言いながら、松山は深く頭を下げた。
「俺、色々考えてみたけど、やっぱりお前の気持ち受け入れられない。」
そこまで一気に言って、顔を上げる。
先ほどとまるで変わらない表情のままの日向と目が合った。
「お前のこと、好きだし、悔しいけど尊敬してるしすげー憧れてる気持ちもある。
でも、それは、一緒にサッカーする仲間としてで、友達と してで…
お前が言う好きとは、たぶん、ちがくて…
よく、わかんねーけど、日向が俺に求めていることは、返せないと、思う。」
途切れ途切れに、でも最後まで言えた。
ちゃんと伝わっただろうか?と、松山は日向の反応を待った。
「…そうか。」
いつもより、さらに低い声で日向は呟いた。
「…ごめん。」
「謝ることじゃねえよ。お前の言ってることは正しい。」
「日向っ 違うんだっっ 男同士だからダメとか、そーゆーんじゃなくて」
「…お前、優しいんだな。」
「っ…」
ふっと微笑んだその顔に、松山は胸がきゅうっと痛んだ。
「こっちこそ、長いこと悩ませちまったみたいで悪かった。」
「…そんな こと」
「これからも、今まで通りでいてくれるか?」
「……… うん」
ありがとう の代わりに日向はもう一度微笑み、椅子から立ちあがった。
「ちょっと、飲み物買ってくるわ。」
そういうと日向は部屋を出て行った。
「っ……」
一人残された松山は、まるで何かから解き放たれたかのように椅子から崩れ落ちた。
胸が、苦しい。
どうしようもなく。
ちゃんと言えたのに。
正面から向き合って、考えて出した答えをようやく伝えられたはずなのに。
気づけば大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていて、灰色の絨毯に黒い染みを作っていた。
(俺は……)
どうして泣いているんだろう?
どうしてこんなにも胸が苦しいんだろう???
日向は
どうしてあんな風に微笑んだんだろう…
「っ… っ…」
口を塞いで、声を押し殺すように泣いた。
『今まで通り…』 そう言った日向の優しい声が、耳から離れない。
ガチャリ、とドアノブをひねる音がして、突然部屋に入ってきたのは
「え?」
「お?」
「ありゃ?」
相変わらずノックする気もなし、な日向だった。
「あれー?日向さんどしたんですか???」
言ったのは反町。
しかし何の反応もなく、日向はずかずかと部屋の奥まで進むと
片山ご自慢の酒蔵(ミニ冷蔵庫の横に置いてあるコンテナ)を漁り始めた。
トレーニングキャンプから戻り数日。
学校はすでに春休みに入っている。
実家に帰省する者も多いため寮は普段より人は少ないが、
サッカー部は練習があるためほぼ全員寮に残っていた。
練習も夕食も入浴も宿題も済んだ反町と片山は自室でくつろいでいたが、
反町の相方北見孝平がネタ合わせにやってきて、今は3人でわいわい雑談中だった。
そこへノックもなしに上がりこんできたのが日向さん。
一体何事?!と思っていると
「酒飲みに来た。」
「は?!!」
酒蔵から日本酒の一升瓶を力強く取り上げる。
そして豪快に開けるといきなり瓶ごと飲み始めた。
「わーーーー!!!俺の秘蔵の『久保田』が!!!」
大慌てで止めに入る片山。
反町と孝平はぽかーん、である。
「てめー!!これいくらすると思ってんだ!!」
久保田だぞ!!しかも万寿だぞ!!と、酒瓶をぶんどる。
「あーあ… っつか、せめてコップ使え…」
とりあえずテーブルに置き、「コップ」と言いながらごそごそと湯呑みを取り出す。
日向は黙ってそこに腰を下ろした。
「…な、な、何ですか?!どうしたんですか?!日向さん!!」
心配そうに顔を覗きこむ反町。
しばし一点を見つめたままだった日向が口を開いた。
「フラレるって、結構きついもんだな。」
「…え…」
「俺、フラレたことなかったから、わからんかった。」
同意を求めるように反町に言う。
反町は はあ としか言いようがなく。
片山も黙って4つの湯呑みに久保田を注いだ。
「え?日向誰にフラレたん?」
直球で聞いてきたのは部外者の孝平。
コイツ聞きやがった!と反町と片山は同時に孝平の顔を見たが、もちろん本人はそんなこと気づいておらず。
「…誰?」
「きーたーみー。何度も会うとるやろー。」
「…あ。アタックの方か。」
「そうや。コイツの相方ですぅ。」
噂通り、ホンマ人の顔覚えへん奴やな〜 と孝平は笑った。
「で?誰にフラレたん?」
「や。お前の知らない奴。」
「そらわかっとるわ。うち男しかおらんもん。せやけど俺、隣の女子高の子やったら大概わかるで。」
「女子じゃない。」
「ほんだらわかれへんわ。」
日向の「女子じゃない」はそのまま女の子じゃない、という意味だったが、
孝平は隣の女子高じゃない、の意味にとらえたため会話はうまい具合にすすみましたと。
「天才日向でもフラレることあんねんなあ。まあまあ、飲んどけ飲んどけ。俺も今夜は付き合ったるわ。」
「悪いな。」
「ええて。お互いさまや。」
何やら意気投合(?)したらしき二人は酒を酌み交わし始めた。
顔を見合わせる片山と反町。
「…これって、そーゆーこと?」
「そーゆーことなんじゃねえの?」
「てっきりまっつん、OKするのかと思ってた。」
「俺も。」
日向の耳に届かないようにコソコソと会話する二人。
「フラレるってつらいよなぁ…」
「お前は経験あるのか?」
「あるある。めっさあるっちゅーねん。」
「そーゆー時どうした?」
「せやなあ… まあ、早いとこ新しい恋を見つけるのが、ええんちゃうかぁ?」
「…それはちょっと しばらく無理くさいが…」
「そーかー。そんなに好きやってんなあ。その子のこと。」
「今でも好きだ。」
「いい!!日向ええわ!!俺、ちょっと今感動したわ。」
すぐ横で聞いていた反町はきょとんとして言った。
「うわ。なんか、日向さんて超一筋…」
コワイ、コワイよ片山くーんっっ と片山の腕にすがりつく反町。
数時間後。
「でな。その丸い葉っぱの方は美味くねえんだよ。だからギザギザの方を増やそうと思って」
「ぎゃはははは!!」
「ギザギザを植えると、なんかしんねーけど丸いのが横から生えてきて…」
「ひー… 腹痛ぇ… お前っ マジでおもろすぎやてっ 雑草栽培するってなんやねん」
日向の話に笑い転げる孝平。
二人ともすっかり出来上がっているようだ。
「日向のネタ、ほんっまにおもろいわ〜 反町とコンビ解消して日向と組もかなー。」
「孝平。それネタじゃなくて実話だから。」
一応つっこんでみる反町だが、もちろん二人とも聞いていない。
「さーて、そろそろ寝ようかな。」
伸びをしながら片山が言った。
「ここで?」
「いや。大地んとこ。孝平がここにいるんだったら空いてるってことじゃん。」
「うわ!ズルい!!逃げんなよ!!」
「反町も若島津んとこ行けば?」
「…あ。なるほど。ってか健ちゃんは?部屋に置き去り??」
「幼馴染だと逆に言いづらいこともあるんじゃねーの?」
「そーゆーもんかねえ…」
あとで面白おかしく話してやろーっ ニヤリとして言う反町であった。