「はあ…」
無意識にため息をつきながら窓の外を眺める松山の前で、小田はさらにため息をついた。
春休みももうすぐ終わりに近づき、宿題の追い込みのため市立図書館で勉強中の二人。
いよいよ受験生ということもあり宿題の量もかなり多い。
それなりに計画的にやってきたつもりが、やはり最後は追い込む羽目になってしまったのだった。
「まーつーやーま」
「はあ…」
「まっつやっまくーーーん」
「はあ…」
「…………… 日向」
「え?!!」
ばっっとこちらを見た我らがキャプテンに、小田は呆れ顔で言った。
「もー。いい加減にしろよな。」
「…なにが?」
「断ったんだろ?」
「………」
「終わりにしたんだろそれで。なんで断った方が未練タラタラなんだよ。」
んっとに意味わかんねー、と持っていたシャーペンを転がした。
ここ最近の松山はだいぶおかしい。
ぼんやりと遠くを見つめ、ため息をつく。
恋する乙女ですかーーーー?!!と何度ツッコミを入れたことか。
数学の計算式を見つめたまま、また動きを止めていた松山がぼそりと呟いた。
「み れん??? 未練… なのかな…」
「俺に聞くな。」
ったく…と呆れ果てながらふいに窓の方に目をやると
「あ…」
「ん?…っ…」
二人の目線の先には、植え込みの向こう側小雪が舞う中薄いピンク色の傘を差す…
「藤…沢…?」
松山の元カノ、藤沢美子の姿があった。
美子がよく友人と通っていたという、松山や小田には縁のなさそうな路地裏のお洒落なカフェに移動して
小田は注文したカプチーノを一気飲みすると「じゃ!!」と言って帰ってしまった。
狭い店内は二人以外に客の姿はなく、フレンチポップスが心地よい音量で流れている。
4人席に向かい合わせで座った二人は微妙な緊張感を保ったまま。
猫舌で甘党の松山は目の前に置かれたキャラメルマキアートをじっと見つめていた。
美子の方は期間限定のホワイトチョコレートモカをスプーンでくるくるかき回して、
やがてそれを口に運び、ふう、と小さく息を吐いた。
「小田君、帰っちゃったね。」
「…うん。」
「元気だった?」
「まあ。」
「選手権大会、惜しかったね。」
「そうだな。」
そっけない返事で、再び沈黙が戻った。
松山は目線を逸らし、窓の外を見る。
「松山君、進路決まったの?」
「いや。まだこれから。」
「そう。」
「藤沢は?こっちに帰ってきたりしないのか?」
「うん。たぶんそのまま向こうの大学に入ると思う。
明日従兄の結婚式があってね。それで今帰ってきてるだけなの。」
「そっか。」
松山はそこでようやくカップを持ち上げ、何度かふーふーしてから恐る恐る口へと運ぶ。
その動作はまるで小さな子供のようで、そしてとても懐かしくて、美子は思わずクスリと笑った。
「変わってないね。松山君は。」
「変わってねえよ。」
変わる要素なんてねえし、と言う。
もうだいぶ冷めただろうに、松山はほんの少し飲んだだけですぐにカップをソーサーに戻した。
「お前こそ、アメリカなんか行って変わったんじゃねえの?」
「…どうかな。そう見える?」
「見えない。」
二人で笑い合って、ようやく空気が和んだような気がした。
ああ、大丈夫だ、と思う。
思えば変な別れ方をしような気もするが、関係がこじれたわけでも嫌いになったわけでもない。
きっとまた、いい友人関係を築けるだろう。
キスすらしたことのない元恋人の笑顔を、松山は優しい目で見つめていた。
「松山君、恋煩い なんだって?」
「は?!!」
美子が突然妙なことを言い出したので、優しい目が一転、驚きで大きく見開かれた。
その慌てふためく姿がおかしいのか、美子は思わず笑いを堪える。
「さっき小田君がこっそり教えてくれた。」
「ええ?!!いや、別に、あの、それはっっ…///」
あ、あんにゃろーっっ 何言ってくれてんだ…
思わず顔が真っ赤になって、自分で気づいたのか隠すように俯いた。
(よりによって何で藤沢に言うんだ…///)
いや、今更よりによってってことはないんだけど、でも、それにしたってそんな言い方…
「フったくせに、自分がフラレたみたいなんだって?」
「……だから、別に… そ、そういう わけでは…」
「まあ。恋愛マスターの私が思うに」
「…誰が恋愛マスターなんだよ」
「それは好きなのよ。きっと。」
うんうん、と頷きながら美子は言った。
「…………」
色々と色々とツッコミを入れたい部分はありすぎなんだが、とりあえず話を聞いてみようと思う。
間違っても美子は『恋愛マスター』ではないと思うが(そうだったら逆に悲しい。)
少なくとも自分よりは、そして小田や他の男友達よりはまともな意見を言ってくれそうな気がする。
「好き、なのかな…」
「逆に考えてみたら?」
「え?」
「もしも断らなかったら、どうだったかって。」
「……」
断らなかったら…?
俺も好きだって言ったら、日向は本当の笑顔を見せてくれたんだろうか。
あんな悲しい微笑みではなく。
そうして、俺たちは付き合って…
付き合って、どうするんだろう???
男女のようにデートしたりキスしたり、俺たちの間にそういうことがあり得るのか?
でも、少なくともたぶん、次会った時はまた笑って喧嘩出来たはずだ。
一緒に走ってサッカーして、ちょっとムカつくその大きな背中を追いかけて。
今までよりも、少し、お互い近い位置で。
『これからも今まで通りでいよう』だなんて、そんなの、キレイゴトに決まってる…
「…藤沢」
「ん?」
「前にお前が言ってた、俺が想ってる奴って、誰のこと だったんだ?」
「……」
美子は松山から目線を逸らし、しばらく考える素振りを見せる。
「教えない。」
「え?」
「教えてあげない。」
「な、なんだよっ」
「だって、悔しいじゃない。
あーーーーーーんなに毎日アノ人のことばっかり考えて、アノ人の話ばっかりしてたくせに。」
美子には珍しく、悪戯な笑みを浮かべると、わざとらしくカップを口に運んだ。
その仕草に、松山はつい思ったことを口にしてしまう。
「…やっぱり、お前、変わった…」
「変わったんじゃなくって、大人になったって言ってください。」
いつまでも”女の子”じゃないのよ、とくすくす笑った。
美子が言っていた『アノ人』というのは、たぶん日向のことだ。
言われた時はわからなかったけど、今はそんな気がする。
『お前のこと、好きだし、悔しいけど尊敬してるしすげー憧れてる気持ちもある。
でも、それは、一緒にサッカーする仲間としてで、友達としてで…』
あの日、日向に伝えた自分の正直な気持ち。
けれど、言葉が足りていない。
『誰よりも、お前のこと好きだし、
誰よりも、悔しいけど尊敬してるしすげー憧れてる気持ちもある。
誰よりも、一緒にサッカーしていたい仲間で友達で…』
そう。誰よりも。
それって
日向の言う 『好き』 と何か違うのか???
俺は
日向が、誰よりも 『好き』 なんじゃねえの????
実はパツキン彼氏が出来ましたーvvvと爆弾発言を残して美子はアメリカに帰っていった。
いつまでも”女の子”じゃないのよ、というのは、どうやらそういう意味でもあったらしい。
やっぱり、アメリカは藤沢を変えたんだ…と松山は思ったが、
美しい青春の思い出と共にそれは心の奥に閉まっておくことにした。
「松山ーっ」
終了のチャイムが鳴ったと同時に呼ばれ、振り返ると教室の後ろの出入り口には小田が立っていた。
春休みが終わり3年生になって、1、2年と同じクラスだった小田とは別のクラスになったのだ。
軽く手をあげ近づくと、何やら慌てた様子で小田が話しかけてきた。
「メールきたか?」
「え?何だよ突然。」
「携帯。岬からメール来てなかったか?」
「あ、俺、携帯忘れたんだ。今日。」
もー またかよ!!!ケータイを携帯してくれよ!!と小田は言った。
「いや、俺も今電源入れたところではあるんだけど…」
言いながら携帯をいじる。
高校では携帯電話は禁止されていないが、授業中は電源を切っておくことになっていた。
「これ」
そして、見せられた画面。
>>発信者 岬太郎
>>件名 Re;
>>本文 久しぶり!元気?小次郎が交通事故にあったらしいけど聞いた??
「…っ…」
一瞬、頭が、真っ白になった。
(交通…事故…?)
「俺も今さっき岬んとこに電話したんだけど出なくて…」
「……」
「まあ、命にかかわるような大変なことだったら、反町とかそこらへんから連絡きそうなもんだから。
って松山?聞いてる?」
「あ… ああ… そう だよな。」
「大丈夫だよ。きっと。東邦の奴らが何も言ってこないくらいなんだし」
「…うん。」
確かに小田の言うとおりだ。
もしとんでもない大事故なら、きっとすぐにでも誰かから連絡が入るはずだ。
松山は自分自身に言い聞かせるようにして納得した。
部活も終わり、家に帰ってからようやく岬の連絡を取ることができた。
やはり松山のところにも同じ文面のメールが届いていた。
「それがさー。僕も又聞きだからよくわからないんだよね。松山こそ知らないの?」
「知らない…。 又聞きって、誰から?」
「反町から新田にメールがきて、それを井沢が聞いて、で、僕。」
安心したくて連絡をとったのに、岬の話は曖昧すぎて余計に不安が募るばかりだった。
それにだいたい、なぜ新田にまず連絡がいくんだ…
新田にするなら、自分にだってしてくれてもいいのに。
「…わかった。俺、反町に電話してみる。」
「…松山?大丈夫?」
「え」
察したように、岬が言った。
「僕、電話してみようか?」
「…いや。俺が電話するよ。」
「そう?」
「うん。」
じゃあわかったらまた連絡ちょうだいね、と岬は電話を切った。
すぐに松山は反町に電話をかける。
しかし
『おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか電源が切られているためかかりません。』
マメな反町でもそんなことがあるのか、と、今度は若島津にかけてみる。
『おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか…』
(…え?)
先ほどと同じトーン、同じ内容が耳に届く。
小池にも、片山にも、東邦サッカー部で電話番号を知っている全員にかけたのに
聞こえてくるのは全て同じメッセージ。
(こんなことって…)
ありえない。
考えられない。
松山の中の不安がどんどん大きくなっていく…
まさか、今、全員日向の入院する病院にいるとか…?
しかもこんな遅くまでいるということは、かなり危険な状態が続いているんじゃないだろうか?
考えれば考えるほど、悪いことしか思い浮かばない。
(っ… 日向っ…)
翌日、松山は一路東京へと向かった。