大きなトラックが、日向に近づいていた。

 日向!!!

必至で叫ぼうとするのに声が出ない足も動かない。

 日 向 !!!!!

奴は振り返らない。
トラックが、日向の身体を飲み込んでいく…

 っ…!!! 日 向 ぁ ーーーーーーーーっっ…



 待って…

 俺、まだお前に伝えてないことがあるんだ…
 もっとお前と一緒にサッカーしたいって。
 一緒に走りたいって。
 すげー大事に思ってるって。

   …好きって…

 お前の言ってた好きと一緒だって
 まだ言ってない。
 言ってないよ…
 
 ひゅーが…




「着きましたよ。」
「っ…」
その声で松山は目を覚ました。
タクシーの中で知らないうちにうとうとしてしまったようだ。
昨晩はほとんど眠れず、真夜中とわかっていながらも何度も電話をかけずにはいられなかった。
結局、誰にも繋がらなかったけれど…
「お客さん、何だかうなされてたみたいですけど…大丈夫ですか?」
「え…?あ… 大丈夫です。すみません。」
代金を支払いタクシーを降りる。

半年ぶりの風景がそこには広がっていた。
公孫樹並木の道沿いに長い長い塀が続いていて、
レンガ造りの立派な校門には「東邦学園高等学部」と書いてある。
校門を入って左側が校舎、右側が寮の敷地だ。
向こう側の建物の三階の角が日向と若島津の部屋。
『鬼門』って呼ばれてるんだぜ、と反町が笑いながら言ってた。

肌寒い秋の夜
『お前が好きだ』
あの日 日向が言った、この場所…

学校内は静まり返っている。
今は授業中なんだろう。
遠くから、体育の授業中なのだろうか笛の音が聞こえてきた。

(さて、来てみたものの…)
松山は大きく息を吸い込んで、そしてゆっくりと吐いた。
他に行くあてもないからとりあえず学校へ来てみたものの、一体どこへ向かったらいいのだろう?
職員室??
突然押し掛けてきた他校の生徒を相手にしてくれるんだろうか?
っつか、まずその奥の明らかに警備員がいそうなところで止められそうだし…
「っ…」
(…あ…)
校門の前で突っ立ったまま考えあぐねる松山の目に、突然飛び込んできたのは真っ赤なスーツ。
校舎の玄関口から出てきてこちらに近づいてくる人影は、無駄が一切ない洗練された身のこなし。
…この人は…
「…あら?」
「小泉、さん?」
「松山君。どうしたの?」
(助かった!!!)
松山は心底思った。
この人なら確実に知っている、そう確信できた。
「小泉さん!!日向は…」
「…ああ、日向君ね…」
小泉女史は小さくため息をつく。
「今、病院に居るわ。」
「っ…」
「あそこに信号が見えるでしょ?そこを右に曲がって300メートルくらい歩くとうちの大学病院があって」
「…はい」
「新館の605号室で寝てるはずよ。」
「…わかりました。ありがとうございます。」
「あ、松山君っ」
小泉女史が何か言いかけたが、松山はすでに走り出していた。
やはり、事故というのは本当だったのか…
松山の胸が、掴まれたように痛んだ。
どの程度の事故だったのか、命の危険があるのか、
聞くべきことはたくさんあったはずなのに、とにかく今は…
今は日向に会いたい。
会わなくちゃ…
その思いだけが松山を突き動かす。


やがて大学病院の敷地内に入り、看板で「新館」を探した。
運のよいことにすぐ目の前の建物がそれで、松山は中に入った。
そこは病棟のみの建物らしく、一階には事務室のような所と売店しかない。
お見舞いに来た人らしきが数人いたが、人影はまばらだった。
エレベーターを見つけて乗り込み、6階のボタンを押す。
2、3、4…と順番に明りがともっていき、やがて6階に到着した。

(605号室…)
静かな病棟内に、自分の靴音だけが響いていた。
案内に従って進んでいき、やがて目的の部屋を見つける。
605と書かれた扉には4つのネームプレートがあったが、どれにも名前は書かれていなかった。

扉の前に立った瞬間、言い知れない恐怖が松山を襲った。
サッカーなんて出来ないくらいのひどい怪我だったら…?
二度と目を覚まさなかったら…?
悪い想像ばかりが繰り返し繰り返し頭の中を廻る。
(…日向っ…)
今にも口から飛び出してしまいそうな心臓を飲み込むかのように大きく深呼吸をし、意を決して扉を引いた。
「……」
薄いピンク色を基調とした部屋は静まり返っており、松山は音をたてないように扉を閉め、一歩足を踏み入れる。
奥の窓際の、左側のベッドだけカーテンがひいてあり、他の3つはカーテンが開いていてベッドも空だった。
ゆっくりと、日向がいるであろうベッドに近づく。
(…ここに…)
震える手でそっとカーテンを開ける。
「っ…」
そこには、見慣れた顔の、日向が横たわっていた。

「日 向 ?」
小さな声で呼んでみるが返事はない。
横に置いてあった椅子を出し、そこにに腰かけ顔を覗き込む。
意識がないのか薬で眠らされているのか、静かに目を閉じたまま。
顔に傷はなく、腕から点滴の管が伸びていた。

ふと、こんな風に日向の寝顔を見るのは初めてだと思う。
端正な顔立ちはやけに綺麗過ぎて人形のようで、一瞬、時が止まっているのかと思ってしまう。
「……」
白い掛け布団の上に置かれたゴツゴツした大きな左手にそっと触れてみる。
(…あった かい…)
その体温に、先ほどまでの異常な緊張が嘘のように和らいだ。
触れた手を今度は両手で包み込んで、自分の額に持っていく。
そして、祈るように目を閉じた。


  もう一度、お前と話がしたい

  お前と一緒にサッカーしたい

  お前と一緒に走りたい



  だから



「頼む… 目を 覚ましてくれ…」

身体中を廻る血管に命を吹き込むかのように指先に口づけた。
溢れ返る想いと共に。


(神 様っ…)



「…まつ やま?」
「っ…」
聞き慣れた低音が、耳に届いた。
「あれ…? なんで、お前がここにいるんだ…?」
「ひゅ…が…」
「俺、夢見てんのか???」
日向は首をひねりながらゆっくりと上半身を起こした。
すぐ傍には今にも泣きそうな松山がこちらを見つめている。
「ん?…なんで松や・・ぅわ!!!」
いきなりすごい勢いで抱きつかれ、日向は面食らった。
「ちょ… なななななんだ?!!っ… ぃてっ」
二人以外誰もいない病室に、ガチンっ という歯と歯のぶつかる音が響いた。
松山の短いキスはあまりにも突然であまりにも乱暴で。
日向には一体何が起こったのか、これは現実なのか何なのかすら判断がつかない。
すぐに離れた松山の顔を見る隙もなく、今度は首にぎゅーっと抱きつかれる。
「日向っ 日向っ 日向っ…」
「っ… 」
耳元で連呼される自分の名前。
首筋に熱いものがポタリ ポタリと落ちるのを感じる。
松山の流す大粒の涙が、日向のTシャツを濡らしていった。







「…松 山…?」
「ひゅ、が… 良 かっ た…」
ようやく離れ、見ることのできた松山の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで。
こんな松山の顔は見たこともなくて、日向はもう何が何だか、思わず噴き出しそうになってしまう。
「お前、なんつー顔してんだ。」
「… だ、だって…」
そっと松山の頬に手を伸ばそうとしたその時
「日向さーん、入りますよーーー」
扉の開く音がして、どやどやと人が入ってきた。
「わ!!本当にいた!!!」
そう言ったのは反町で、後ろには若島津と片山の姿もある。
「えー?!! まっつん、どうしたの?!!大丈夫???」
日向さんに泣かされちったの??と反町が尋ねる。
「…っ  …・っ」
子供のようにしゃくり上げて何も言えない松山。
三人は顔を見合わせて、揃って困り顔をした。
それから日向の顔を見たが、日向も「俺もわからん」とばかりに首を横に振る。
「…とりあえず、鼻を拭いたらいい。」
若島津が置いてあったBOXティッシュを2、3枚引き抜いて、松山の鼻にあてる。
「はい、チーン」
松山は素直に鼻をかまれ、若島津はそれをポイっとくずかごに捨てた。
それからまた2、3枚引き抜いて、今度は涙も拭いてやる。
「あ、あり がと。」
松山がようやくそう言えたところで、3人は思わず笑ってしまった。
松山も照れ笑いして、自分を落ち着かせるように大きく息を吸い込んで吐き出した。
「大丈夫か?」
「…う、うん。」
「それにしても、小泉さんの冗談かと思ったけど…本当に来てたんだな。松山。」
ぽんぽん、と肩を叩いて、片山が言った。
「だ、だって… そうだ!!お前ら!!!」
「へ?」
「お前ら、電話誰も通じねえし!!!」
「え?あ。」
「だから、俺、てっきり日向が意識不明の重体にでもなってるのかと思って」
「…意識不明の、重体???」
松山以外の全員が首を傾げた。
「ちょっと待ってよ、まっつん。俺らの携帯が通じないと、なんで日向さんが意識不明の重体なわけ???」
「岬が」
「岬??」
「日向が交通事故にあったって」
「…は?!」
「あ… えっと、最初は新田か。」
「新田??     あ。俺だ。」
「お前だろ!!反町!!!」
「いや。そーだけど。いや、でもあれは、冗談で」
「じょ、冗談て?!!!」
「だから…」



事実はこうである。

>>発信者 反町一樹
>>件名 大変だ!!
>>本文 日向さんが交通事故にあった!!いよいよ俺たちにもチャンス到来か?!!

2分後。
>>発信者 新田瞬
>>件名 Re;大変だ!!
>>本文 え?!日向さんが事故って何ですか?!!

その5分後。
>>発信者 反町一樹
>>件名 四月馬鹿
>>本文 なーんて本日はエープリルフールだよ〜ん。といっても事故の話は本当なんだけどね。
       日向さん車に轢かれたんだよ。…三輪車にね。後ろから激突されたの〜っ(笑)

「新田、その5分の間に岬に教えて」
「続きの事実を伝えなかったと。」
「で、話だけが一人歩きして」
「松山には交通事故で意識不明の重体ってことになった。」
って、そういうことか?
尋ねられた松山は大混乱…
「え?え?じゃ、じゃあ、日向、交通事故には」
「あっていない。三輪車には激突されたがな。」
「…じゃ、なんでここで寝てるんだ???」
「それは、まあ、色々あるんだ。」
「何だよ!!はっきりしろよ!!!」
こちとら学校サボってここまで来たんだぞ!!と怒る松山に
「その説明はワタクシが。」
と子●店長のように言ったのは若島津で。
「実は昨日までテスト期間中でな。」
「…テスト…?」
「ああ。休み明けにはいつもテストがあるんだ。ここ最近サッカー部の成績がすこぶる悪くてな…
 小泉さんから『今度のテスト、成績が悪かったら部活動停止一週間』って言われていて。
 それで部の中でも一番ヤバい日向さんが必死で慣れない追い込み勉強をしたわけだ。」
若島津、色々余計だ。 という日向さんのツッコミはもちろんスルーされる。
「で、徹夜で詰め込み勉強なんかしたもんだから、テストが終わった途端に寝不足でぶっ倒れた。」
それで点滴、と指を差す。
「ついでに言うと、テスト終わるまでサッカー部全員の携帯を小泉さんが取り上げてたわけ。
 勉強の邪魔になるからとか言って。」
さっきついでに返してもらった、と片山が携帯を見せる。
「…それで、電話通じなかったのか…?」
「そゆこと。」
「じゃ、じゃあ、俺…」
全てが勘違いだったことがようやくわかって、松山の顔が火がついたように真っ赤になった。
「おおおおお俺、わざわざこんなとこまで来て… ///」
「心配されて良かったな〜 日向vv」
にやーっと笑って片山が言う。
「とりあえず、松山確保な。」
「は?!!」
「小泉さん命令。」
若島津と片山が松山の両側に立って、がっちり腕を掴んだ。
反町がにんまり笑って松山の顔を覗きこむ。
「授業中に放送で呼び出しかかって超恥ずかしかったんだからね〜っっ!!
 そんで校門の前に行ったら小泉さんが立っててさあ。
 『松山君が日向君寝てる病室にいるから逃がさないでちょうだい!!!』ってね。
 冗談かと思ったらまっつん本当にいるんだもん。」
「え?お、俺どこ連れてかれんの???」
「もちろん小泉ルーム。」
「え?!!は?!!」
「大丈夫。取って食いやしないから。     …たぶん。」
「なんで自信なさげなんだよ!!!」
「あ、日向さん、十分寝ただろうからそろそろ授業戻りなさいって小泉さん言ってたよ〜」
ひらひらと反町が手を振り、若島津と片山が連れてこられた宇宙人がごとく松山を運び出す。
「…おい。松山 小泉さんとこ行った後どうすんだ?」
「俺が知るかーーーっっ」
「お前勝手に帰るなよ。まだ話が」
「だから俺が知るかーーーーー!!!!」
はいはい病院では静かにしましょーね、とか言いながら、4人は病室を後にした。


イラスト:ことぶき優花様vv



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