目の前に置かれた紙コップからは甘い香りが漂っている。
「はい。」
「サンキュ。何?」
「コーヒー牛乳。あったかいやつ。」
「反町は?」
「俺はコーヒー。」
ブラックです、と笑って言う。

広々とした開放的なロビーには真っ白い円形のテーブルと原色のカラフルな椅子が並んでいた。
人影はほとんどなく、新聞を熱心に読む年配の男性が一人いるだけだった。
大きな窓に近い席に座る松山の向かい側に反町も腰かける。
窓の外は木々が生い茂り、向こう側には整備された小道が見えた。
もっと暖かくなって散歩したら気持ちいいだろうな、と思う。
「飲まないの?」
「俺猫舌なんだ。それよりこれ」
「ああ。いいのいいの。それタダだから。」
「タダ?」
「そ。これで買えるんだ。」
ってゆーか、むしろ奢ってもらったのはこっちvと言って反町が見せたのはオレンジ色のカード。
「まっつんの部屋のカードキー。これでここの自販なら買えるし、となりの食堂の食券も買えるから。
 じゃあ、これ。無くさないでね。」
「ふうん。すげーな。」
「すげーっしょ。さすがゲストハウスっしょ。」
カードを差し出しながら、にぃっと笑って見せる反町。
東邦学園のゲストハウスは本当にすごい。
さっき部屋に荷物を置きに行ったが、そこらへんのビジネスホテルなんかよりずっと立派だった。
松山は今更になって前回泊らなかったことをちょっと後悔する。
でもまあ、その『せい』か『おかげ』か色々なことがあったので何ともかんとも…

「小泉さん」
コーヒーを一口飲んで、反町が言った。
「え?」
「話、なんだったの?」
「…ああ。」
一応(というか、当然)口止めされていたんだが反町からは逃れられそうにない。
それに以前、彼がふらのに来た時進路の話を聞いてもらって、それでかなり助けてもらった恩もある。
ここはやはり正直に言うべきだろう、と松山は思い、真っ直ぐに反町を見据えた。
「…指定校推薦、だって。」
「指定校?ふらの高校が?」
「そう。」
「へえ。で、まっつんに受けろってこと?」
「まあ。」
「いいじゃん、いいじゃん。受けなよ。ラッキーじゃん。」
「うん。たぶん、そうする。」
そっかーvvvと反町は嬉しそうな顔を見せた。
「ついにまっつんと同じガッコーか☆そん時になったら家探しとか引っ越しとか協力するよvv」
「うん。でも、とりあえず小泉さんに口止めされてるから…秘密な。」
「そりゃそーだ。バレたら大問題だもん。」
「うん。」
なんとなくバツ悪そうに上目づかいで見ると、反町は小首を傾げてくすっと笑った。
「…… 日向さん、にも?」
「…うん。」
「……・ じゃあ、二人だけの秘密。」
そう言って反町は小指を差し出した。
松山も笑って小指を結ぶ。
(…あー。俺ってやっぱ、ダメだな…)
指きりげんまんを歌いながら反町は自嘲した。
こんな冗談めいた事でさえも、心の奥底にしまい込んだ想いの欠片を引きずり出してしまいそうになる。
他人のことならよくわかるのに、自分のことはまるでわかってない…
思っていた以上に未練がましく、嫉妬深い、そんな自分に嫌気が差す。
(こんな友達でゴメンね、まっつん。)
勿論、表情には一切出さず、嘘ついたら針千本のーます♪と歌って指を離した。
「んじゃ、俺も真面目に受験勉強しなくちゃね。」
「え?そうなのか?」
「一応ね。特待生ってわけじゃないから。…おっと、そろそろ時間かな。」
反町は携帯で時間を確認する。
「部活に戻んなくちゃ。明日休みだけど、練習試合があるからさ。今回はここでお別れです。」
「そっか。ごめんな。色々ありがとう。」
「いえいえ。お気になさらず〜。」
いつもの調子でひらひらと手を振り、席を立ちあがる。
そしておもむろに出入り口の方に目をやると、遠くに見慣れた影を発見した。
(めっずらしく時間通り。)
松山に見えないように苦笑い。
「まっつん、もうちょっとここで待ってて。」
「え?」
「選手交代。」
「?」
じゃね、と反町は去って行った。





「お疲れ様です。」
「おう。」
「大丈夫でした?」
「まあな。」
呼び出したのは他でもない、日向である。
部活を途中で抜け出してきたので、上下学校指定の紺色ジャージ姿。
「まっつん、中にいますから。」
「……」
少し驚いた様子で、日向は反町を見た。
「今度は邪魔しません。罪滅ぼしですあん時の。」
「…あん時って」
「でも」
「っ…」
日向の言葉を遮った反町の顔は、普段、試合以外では滅多に見せない鋭い眼光で。
思わず日向ですら一瞬息を飲んだ。
「今後、松山のこと泣かせたりしたら、許しませんから。」
「……」
「俺、相手が日向さんでも、容赦しない。」
どんな手を使っても奪い取ります、と続けようとすると
「さっきのは俺が泣かしたわけじゃねえぞ。」
あいつが勝手に勘違いして泣いただけだ、と日向が言った。
予想外の答えに反町は思わずぷっと吹き出して、いつも表情に戻った。
「敵わないな、日向さんには。」
「何がだ」
「ホントは気づいてたくせに。」
ひゅうっと少し冷たい風が吹き抜けた。
日向は何も言わず、じっと反町を見つめている。
(俺が松山のこと好きだって、気づいてたんだろ?前から…)
きゅっと唇を噛んで、それ以上何か言ってしまいそうな口を噤む。
日向の優しさはありがたくて、けど、ずっと、ずっと、痛かった…
「……」
「じゃ、俺戻ります。」
軽くお辞儀をして、反町はコンクリートの階段を駆け下りていった。
日向はその背中をしばらく見送り…
そして
ガラス製の重たいドアを押し開いた。




見慣れた後ろ姿があった。
大きな窓の外をじっと見つめている。
何か考え事でもしているのか、それとも何も考えてないのか。
ま、後者だな、と心の中で笑って、日向は歩を進めた。

「よう。」
「ぬぉあ!!!」
いきなり目の前に現れた日向に驚いて、松山はおかしな声をあげてしまった。
「ぶはっ…」
「笑うな!!!!」
ぶくくく…と笑いを堪えながら、日向は先ほどまで反町が座っていた椅子に腰を下ろす。
「俺も何か飲むかな。」
「あ。これで買えるって。」
先ほどのオレンジ色のカードを差し出すと、指が受け取ろうとした日向の指先と触れた。
「っ…///」
思わず手を引っ込めて、顔を赤くして俯く。
「…ご、ごめん。」
「何がだ?」
日向は首を傾げ、自販機に向かって行った。
(うわ うわ 俺何謝ってんだ…///)
っつか、少女マンガの1コマか!と自分自身にツッこみ、自販機にカードを入れる日向の横顔を眺める。
見慣れたはずの顔なのに、なんだか妙に、別人のように思えた。
飲み物を買って戻ってきた日向は再び松山の前に腰を下ろす。
「…何?」
「コーヒー。ブラック。」
「…」
先ほどの反町と同じことを言われ、子供だとからかわれたような気がしてムッとする。
「何だ?」
「別に。コーラかと思ったから。」
松山は残ったコーヒー牛乳を飲み干した。
日向もコーヒーを一口飲んでカップを置く。
二人の間に沈黙が落ちた。

(日向 は、反町に呼び出されてここに来たのかな…)
チラリ、と上目づかいに日向の様子を窺う。
日向は窓の外に目をやり、ぼんやりと景色を眺めている。
(…俺から、何か話さなくちゃまずいんだろうか…)
勘違いとは言え押し掛けたのはこっちだ。
確かに、あの時はもう一度日向と話がしたい!って神様に願ったけど…
けど… けど… けどぉ…
(ううううううう///)
こうやってバリバリ元気な姿で目の前に現れられたら、正面切って言うのはめちゃめちゃ勇気がっっ
いや、別にだからって弱ってれば良かったってわけじゃねぇけど…
やっぱどうせ殺したって死なねぇんだから、多少弱ってるくらいの方がい
「おい。」
「ふぁい?!!」
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる〜〜〜と考え事をしていた松山は、再びおかしな返事をしてしまった。
「…お前、さっきから大丈夫か?」
「ん、お、おう…」
「とりあえず、話してもいいのか?」
「え?!は…はい。どーぞ…」
「歯が痛い。」
「…は?」
「歯。」
日向は口をイーっとすると前歯を人差指でコンコンと叩く。
「…歯」
「ぶつかっただろうが。」
「…………………   あ。」
松山の頭に、その光景が蘇る。
目を覚ました日向に思わず抱きつき、そして…

「………」

した。
確かにした。

(俺って!!!俺って!!!!)

ぶわっと一気に耳まで真っ赤になって、松山は俯いてしまった。
抱きついたのみならず、一瞬とはいえ、思わず…キス…してしまったんだった…。

「…あ、あれは、その」
「うん?」
「つい」
「つい?」
「そう… つい…」
「つい。お前、そんなんで俺にあんなことしたのか?本当に最低だな。」
無表情で突然そんなことを言われ、松山は逆に驚いてしまった。
確かに、いきなりキスしてしまったことは悪かったのかもしれないが、『最低』と言われるほどなんだろうか?
いくらなんでも酷くないか?!と睨みつけようとした時、
「って、言ったな。あの時。俺に。」
「…へ?」
「俺が、お前に、つい、キスしちまった時。」
そう言って日向はニヤリと笑った。
「覚えてないか。お前めちゃくちゃ怒ってたからな。」
「…… あ…」
松山はようやく思い出して、バツ悪そうに首の後ろを掻きながら日向を見た。
「…だって、俺、あれが初めてだったんだ…」
「…」
「日向」
先ほどまでいた年配の男性はいつの間にかいなくなっていて、ロビーには二人以外誰もいない。
静かに流れるクラッシク音楽が妙に耳についた。
日向は次の言葉を待つように、じっと松山の顔を見つめたまま。
「日向、俺」
「…」
「俺、その、なんつったらいいか…」
松山は必死で言葉を探しながら、ゆっくり話し始めた。
「俺も、たぶん、お前のこと好き、なんだと、思う…」
うーんとか、あーーーとか言いながら、そして大いに照れまくりながら言う。
「たぶん…って、こともねえんだけど… んっと、こないだ返事したのは、
 あれはあれで俺めちゃめちゃ考えて考えて返事したつもりなんだけど…
 だから、何かまた今更こんなこと言うのも、すげー、嘘っぽいっつーか
 結局お前どっちなんだよ!って言われても仕方ねえと思うし、だから」
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ色々な事を言い倒して、大きくため息をつくと
「あーーーーっっ!!俺って男らしくねえ!!!」
そう言って自分の両手で挟むように顔をパンパンと叩く。
「とにかく、だ!!俺はお前が好き。以上!!!」
よし!!と自分で納得して、松山はやたらスッキリした顔になった。
突然自己完結した松山を前に、逆に日向はきょとん顔である。
「そんでいいか?日向。」
「お?おう。」
「で?どうしたらいいんだ?今後。」
「え?」
「だって、俺たち付き合うんだろ?」
「…お…おう」
「デートとかすんのか?」
「…そう、いうことも あるんじゃ、ねえの?」
「そうか。  って!!お前、明日練習試合なんだろ?!部活戻らなくていいのかよ!!
「え?あ、そう だな。うん。そろそろ戻るわ。」
「おう。んじゃあ、またな。しばらく会えないと思うけど。」
また連絡する!と爽やかに言い残し、自分と日向の分の空いた紙コップを掴んで去って行く。
残された日向もとりあえず外に出て、5歩ほど歩いたところで
(…え?俺のこと好き…?)
っつったな。松山。そんで付き合うんだろ?って…
「… ぅおおおお!!!」
小声だが力強く叫んで思わずガッツポーズを決めると、
たまたま通りかかった先生っぽい人がびくっと肩を震わせて怪訝な顔でこちらを見た。
(デートとかすんの?)
松山の言葉を頭の中で繰り返す。
(…すんの?デートとか…????え?どこに???いつだ???)
いきなり頭の中が ぱああああああっっ とお花畑になった日向は、階段を踏み外しそうになった。





余裕見せてたら逆にやられた日向さん。
そしてやっぱり健気な反町。ガンバレ!!!


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